何を理由に相手を愛するのですか?

何を理由に相手を愛するのですか?

こんにちは!

中学校の同窓会の写真を見て、
半分くらいしか名前がわからなかった
赤木です。

もう40年近く会ってない人もいますからね。

さすがにみんな、
おじさん、おばさんになって、
わずかに昔の面影があるくらいです。

特に女性は、名前どころか
顔がわからなくなってます。

それだけ変わるということなのでしょうね。

さて今日は、愛することについてです。

今日のFacebookページに、
妻に対する思いを書きました。

「幸せ実践塾」-「何もかも違うあなたへ」

◆◇◆———————————>
【何もかも違うあなたへ】

些細なことで、よくけんかしたね。
たいていは、あなたが怒ったんだけど。

車を避けて道路を渡ろうとした時も、
あなたはすぐに怒った。

「どうして勝手に行くの!?」
「なぜ一緒に来ないの!?」

タイミングが合わなかったんだね。

あなたが買い物をしたとき、
小銭がほしくてぼくに
ねだったことがあった。

そのとき、ぼくが渋い顔をしたら、
あなたはまた怒った。

「私のために小銭も出せないの!?」

だって、言っておいたじゃない。
会社でヤクルトを買うのに、
コインが必要なんだって。

だから、
お札を出してお釣りをもらえば
いいじゃないかって、
ぼくは思ったんだよ。

でもあなたは、
怒って口をきかなくなった。

生まれた国も違うし、
年齢も、育った環境も、使う言葉も違う。
もちろん性別も違うし、
何もかもが違ってたんだ。

だから、考え方や価値観が
違っていても当然だと思うよ。

そんなあなたを、
ぼくは愛することに決めたんだ。

ぼくが思ってもみないことで、
あなたはよく怒り出す。

さっきまで仲良くしてたのに、
急にヒステリーを起こす。

そんなときぼくは、こう思うんだ。

ありがとう。

ぼくとは違う考え方があるんだよね。
あなたは身をもって、それを示してくれる。

ごめんね。

怒るのはつらいでしょう。
そうまでしてぼくに、他の世界があることを
教えてくれたんだよね。

一緒に暮らしてきて、ぼくはこう思うんだ。
あなたは、ぼくにとって
最高のパートナーだなあと。

だって、あなたくらい、
ぼくと違う人はいないからね。
あなたくらい、自分を
はっきり見せてくれる人はいないからね。

結婚する時、ぼくは、
ずっとあなたを愛すると決めたんだよ。

あなたがどうかに関係なく、
ぼくが決めたことなんだ。

だから、
あなたが変わっても変わらなくても、
ぼくの思い通りであってもなくても、
ぼくはあなたを愛するよ。

それがもっとも、
ぼくらしいことだと思うから。

これから何があるかわからないけど、
あなたに贈る言葉はこれしかない。

ありがとう。
いつも、いつも、ありがとう。
たくさん、たくさん、ありがとう。

あなたのことを、愛しています。

  (結婚2周年に妻のことを思いながら)
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(一部修正しました)

ちょっとキザっぽいですけど、
今の正直な気持ちを書いてみました。

実際、本当にそう思うのです。

よく言っていますが、
私が妻を愛するのは、
私が愛すると決めたからです。

妻が美人だとか、かわいいとか、
やさしいとか、関係ないのです。

(けして妻が不美人だとか、
性格が悪いという意味ではありませんよ。)

だから、美人じゃなくなったとか、
かわいく感じられないとか、
やさしくしてくれないなどが、
愛さない理由にならないのです。

多くのカップルは、この点が違います。

「目がかわいい」などの身体的な長所や、
「いつも自分のことを気遣ってくれる」
などの性格の良さを理由として、
好きになります。

そして好きになったことを理由に、
愛すると言うのです。

だから、簡単に別れるのですよ。

当たり前ではありませんか。

そもそもそれは、愛ではないのです。

愛は無条件だと、
誰でも聞いたことがあるでしょう?

そしてそう言われれば、
誰もがそうだとうなずくでしょう?

でも自分には、あてはめないのですね。

人は変わるものです。

それに、美人は3日で飽きるものですよ。

(その代わりにブスは3日で慣れる
と言いますけど。)

あるいは、相手が変わらなくても、
自分の感じ方が変わるのです。

ですから、
相手の何かを理由に愛すると言うなら、
必ずそれは上手く行かなくなるのです。

愛する条件をつける限り、
愛から遠ざかるのです。

長く寄り添ったカップルが、
「惰性で続けているだけだ」
などと言いますけど、
ちょっと残念だなあと思います。

それはつまり、もう相手に
ワクワクするものを感じないけど、
別れるほどの理由もないから、
今の関係を続けているってことじゃ
ありませんか。

せっかくのチャンスを、
自ら逃しているとはこのことです。

どうしてその関係を、
もっとワクワクする素敵なものにしようと
思わないのでしょう?

ワクワクしない原因が
相手にあると考えている限り、
それは不可能なことです。

そこで新たな刺激を求めて、
他にちょっかいを出すことになります。

いわゆる浮気ですね。

その浮気も、
刺激を求めるだけならまだ良いのですが、
本気になる人もいます。

自分の愛が、
相手に依存するタイプの人です。

まあそういう人は、
どこまで行っても終わりはありません。

だって常に相手次第なのですから、
翻弄され続ける他にないでしょう。

自分の考え方次第だと気づいた時、
相手に依存せずに
愛せるようになります。

つまり、
愛する理由を相手に置かないのです。

見た目に関係なく、
性格の良し悪しに関係なく、
ただ愛すると決めたから愛する。

無条件に愛するのです。

しかもそれは、
義務であってはダメです。

義務とは強制です。

そこに自主性がありません。

自主性がないということは、
自由でないということです。

自由がなければ喜びもなく、
幸せにもなれません。

結局、長続きしないのです。

愛することを義務としてではなく、
自由意志にしましょう。

ただ自分が愛したいから愛するのです。

それが自分らしいことだから、
愛するのです。

これがわかるようになると、
愛することが喜びになります。

だって自由なのですから。

相手に依存しないから、
何も求めなくなります。

そのときやっと、
これが本当に愛なのだとわかるのです。

愛、自由、幸せ。

これらは切っても切れない関係です。

どれかでなくなったとき、
それらすべてを失うのです。

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