浮気をするのはいけないことですか?(18禁)

浮気をするのはいけないことですか?(18禁)

こんにちは!
猛烈に本を読みまくっている
赤木です。

先月帰省したとき、
25冊の本を持ち帰りました。

現時点で7冊読み終えました。

そのうちの2冊は、絵本と詩集ですから、
すぐに読めるものですけどね。

でもまた13冊新たに買ったので、
未読がまだ31冊あります。

うーん、いつ読み終えることが
できるのでしょうか?

さて、久しぶりの18禁話題です。(笑)

と言っても今回は、
そんなに露骨な性的描写はありません。

期待している方には申し訳ありませんが。

最近話題になった芸能ニュースで、
女性の側が浮気したことが発覚して
関係が破局するというものがありました。

元モーニング娘の矢口真里さんです。

女性の浮気が珍しいということも
あったのでしょう。

そのニュースが広まると、
矢口さんに対する批判が噴出しました。

中には、
矢口さんを擁護する意見もありましたが、
それでも「浮気は良くない」というところに
落ち着くようです。

私の友人で
恋愛セラピストの平岡徹朗さんも、
この件をブログに取り上げています。

http://ameblo.jp/deai-otokojuku/entry-11548367987.html

そこで彼は、
矢口さんを責めても仕方がないと言います。

それよりも
原因に気づくことが重要なのだと。

私も、この考え方には賛同します。

すべての出来事は、自分自身への贈り物。

そういう視点で考えるなら、
批判は贈り物を拒否する反応です。

せっかくそういう事例を
私たちに見せてくれたのですから、
まずはしっかりと受け止める。

そうして、自分に役立てることで
良い贈り物となるのです。

その上で私は、性懲りもなく
また「ことを荒立てる」質問をします。

「浮気は、いけないことですか?」

「何をバカなことを!?
悪いに決まっているじゃないか!?」

「自分のパートナーがいるのに、
他の人とセックスするなんて、
充分に裏切り行為じゃない!?」

多くの人は、そういう反応をするでしょう。

ですから敢えて、
静まった湖面に石を投げ込むのです。

その本質を問うのです。

「なぜ悪いと言うのですか?」

「パートナーが他の人とセックスしたら、
あなたは何かを失うのですか?」

パートナーとのセックスは、
自分だけにしか許されないはずのもの。

それはパートナが、
自分しか愛さないことの象徴だった。

だからそれを信じ、
それによって幸せでいられると思っていた。

けれども、その期待が裏切られ、
自分は幸せの根拠を失った。

相手の一方的な裏切り行為によって、
自分は被害者となったのだ。

自分は、相手の行為によって傷ついた。

何も悪くない自分を傷つけることが、
悪いことでないはずがない。

おそらく、そんなところが理由でしょう。

ならば言います。

もし、傷つかないとしたら、
浮気してもいいのでしょう?

私は妻に言っています。

「もし浮気したかったら、
いつでも浮気していいよ。」

なぜそう言ったのか?

私は、妻を愛そうと決めたからです。

ここでピンと来る人は、
愛について真剣に考えられたのでしょうね。

多くの人は、
愛が何であるか聞いたことはあるし、
そのときはその愛の美しさに
感動したかもしれません。

けれど、いざ自分の実生活に戻ると、
そのことをすっかり忘れています。

そして、
自分を守ることに意識を集中しているため、
何が愛だかわからなくなっているのです。

愛とは、相手が幸せであることを
喜ぶものではありませんか?

相手は、自由であるときに
幸せだと感じるでしょう。

ならば、相手を自由にさせること、
それが愛ではないでしょうか?

「仕事と私と、どっちが大事なの!?」

そう言って夫を責める妻は、
夫を愛していません。

「おれの妻だったら、
疲れている俺のことを少しは気遣えよ!」

そう言って妻をなじる夫は、
妻を愛していません。

厳しいと思われるかもしれませんが、
それが事実なのです。

愛は、相手に何も求めません。

与えて、与えて、与え尽くすのみです。

相手を縛らず、解放するのです。

それが愛というものです。

何も求めないのであれば、
自由を喜ぶのであれば、
相手が自由意志で浮気したことを
どうして喜ばないのです?

相手は、浮気したいと思っていたから、
そうしたのでしょう?

こうやって、聞いて感動した愛を
現実に当てはめようとすると、
とたんに壁にぶつかってしまいます。

その矛盾を解消しようとして、
「博愛と恋愛は別だ」などと、
勝手な理屈をこねます。

でもそれは、逃げているだけです。

本当は最初から、
わかっていなかったのですよ。

愛は愛です。

ただ自分が
愛に包まれる心地良さだけを夢想して、
愛されることを愛だと勘違いしただけです。

たしかに、
愛されることは心地良いものです。

けれども私たちは、
愛される必要性はありません。

愛されなくても幸せになれるのです。

愛されなくても、
自分らしく生きられるのです。

つまり、愛されることに執着せず、
手放すことができるのです。

それがわかったとき、初めて私たちは、
誰かを愛することができます。

そして誰かを愛したとき、愛に生きた時、
もう何も要らないと感じるほど
感動するのです。

それは魂が、愛そのものである自分自身を
体験的に知った喜びなのです。

いいじゃありませんか、浮気の1つや2つ。

好きなようにさせたらいいのです。

「この前の浮気相手、どうだった?
楽しかった?」

話を聞いて、
一緒に喜んであげたら良いのです。

体験してみないと、
本当にはわからないことがあるのですから。

「そんなことを許して、
本気になったらどうするの?」

まだそんな不安を抱えているのですね。

その不安が、あなたを愛から遠ざけます。

不安とは、愛の対極にあるものですから。

もし相手が本気になったら、
別れてあげれば良いではありませんか。

だって、
相手のことを愛しているのでしょう?

相手の自由を喜んであげたいのでしょう?

だったら、
喜んで手放してあげれば良いのです。

愛とは、しがみつくものではなく、
解放するものです。

愛は相手を縛りつけず、
自由にしてあげるものです。

本当の愛に気づかず、
愛だと勘違いして相手にしがみつき、
縛り付けようとする限り、
愛にはなれません。

愛になれない限り、2人の関係は
必ず上手く行かなくなるでしょう。

なぜ、そんなことが言えるのか?

生命とはそういうものだからです。

生命は、至高の愛にたどり着きたいと
願っているからです。

だから私たちの魂は私たちを、
敢えてトラブルに遭遇させます。

トラブルに遭遇することで私たちは、
自分の内面に深く潜ることができます。

そうすることで、表面上のチリを払いのけ、
私たちの本質である愛に到達できるのです。

浮気が発覚したのは、
そういう魂のはからいです。

ですから、
これは非難すべきことではなく、
ありがたいことなのです。

そのことを平岡さんはわかっているので、
これを役立てるべきだと言ったのでしょう。

あなたは、
パートナーの浮気を許せますか?

もっと言えば、
パートナーの浮気を喜んであげられますか?

あなたはパートナーを、
本当に愛していますか?

あなたは、自分が愛だと気づいてますか?

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