チャンスはピンチの顔をしてやってくる

チャンスはピンチの顔をしてやってくる

こんにちは!
正月休みは、読書とスポーツで過ごした
赤木です。

詳しくはブログをどうぞ。

http://goo.gl/VuOdm

2013年になりましたね。
明けまして、おめでとうございます。

今年もどうぞ、よろしくお願いしますね。

さて、
「ピンチはチャンスだ」とよく言います。

たしかに何か悪いことが起こっても、
それをバネにして大きく成長する
ということはよくあります。

何度も書いていますが、
松下幸之助氏は、自分が成功できた要因は、
「学歴、金、健康の3つがなかったからだ」
と言っています。

また帝王学では、大人物になるには
大病、貧乏(倒産)、収監の3つの経験が
必要だと言います。

このように、
人生における大ピンチという経験が、
実は大チャンスになるのだと、
多くの人が言っているのです。

私が読んでいる「神との対話」シリーズの
8冊目、「明日の神」にも、
次のように書かれています。

ちょっと長いですが、引用しましょう。

「生命/人生が「どっちを選んでも
ひどい選択肢」を突きつけるのは、
あなたが真の自分を経験するうえで
大きな突破口に差しかかっているときだ。
そのことを、いつも忘れないように。」

「厳しい選択肢が生まれ、
それに直面しなければならないというのは、
つねにあなたの魂が身体を通じて
あなたの精神に、さあ、真の自分という
全体性に向かって「飛躍」するときだよ、
と告げているのだよ。」

「じつは、そういうときの選択は
「ひどい」ものではなくて、
ただ危機的だというだけなのだ。
あなたがたはたぶん、
生涯で六回から七回くらい、
そのような危機的な選択ポイントに
立つだろう。
両手で数えられるくらいだろうな。」

「危機的選択ポイントに、ようこそ。
しりごみをしてはいけない。
これは飛躍的に進歩できる、
めったにないすばらしいチャンスなのだ。
こういうチャンスはいつだって、
人生で最高の祝福だよ。」

(p.390-391)

どうにもならないひどい状況が
人生で起こったとき、
それは魂が、飛躍のチャンスを
与えてくれているのだと言うのです。

考えてみれば、
そのことの正しさがわかります。

どうにもならない状況というのは、
何を選択しても上手くいかないように
見えるわけですから、
簡単に諦めることができます。

だって、
何を選択してもひどいのでしょう?

だから開き直れるのです。

たとえば日本が
戦後に奇跡的な復興ができたのも、
ある意味で、戦争によって
何もかも失ったからだと思うのです。

戦争で負けたのですから、
しょうがないじゃありませんか。

そこで私たちのご先祖様たちは、
意気消沈して
何もしなかったのではありません。

そういう心を癒す時間が過ぎたあとは、
開き直って力強く生きたのです。

だから、
今の日本の繁栄があるのだと思います。

会社が倒産したとき、
どうしようもありませんよね。

交通事故などで大怪我したとき、
今さら元に戻せないでしょう。

仮に冤罪であっても、
有罪とされて収監されたら、
その時間は取り戻せません。

そういうひどい状況であっても、
いや、ひどい状況だからこそ、
すべてを捨てて開き直れるのです。

すべてを捨てるとは、
どういうことかわかりますよね?

そう、私がいつも言っている
「必要性をなくす」ということです。

だって捨てるしかないのですから、
必要とかどうとか言うのも
バカバカしい話です。

つまり、
苦労しなくても必要性を捨てられる状況
というのが、ピンチの時なのです。

そして必要性を捨てたとき、
生き方の選択条件は何でしょうか?

そこがポイントです。

チャンスをつかめるかどうかの、
重大なポイントなのです。

そのとき、
もう得られないとわかっている何かを、
捨てきれずに執着してしまうのが小人です。

そのことを孔子はこう言っています。

「子曰、君子固窮」
(子曰く、君子もとより窮す)

君子(大人物)でも困窮することはあるさ、
と言うわけです。

ただし、
君子は困窮しても混乱しないが、
小人は狼狽して自分を見失ってしまうのだ
と続けて言います。

これもブログに
「君子困窮」として書いたので、
そちらをご覧ください。

http://goo.gl/NjZO9

もうわかりましたね?

その選択の条件とは、
「自分らしさ」なのです。

「自分とは何ものか?」
という問の答えです。

五稜郭に立てこもって
最後の抵抗をした榎本武揚は、
これが最後の決戦と腹を決めたとき、
自分が持っている国際法の書物
「海律全書」を官軍側に渡しました。

その書物が、今後の日本にとって
重要なものだと考えたからです。

「もう明日は死ぬしかない。
自分の夢は敗れた。」

その絶体絶命のピンチにあっても、
榎本は自分を見失わなかったのです。

だから明治維新後、周囲の助けもあって、
新政府に出仕することになりました。

自分の力では果たせなかった
新しい日本を創るという夢が、
思わぬ計らいでできるようになったのです。

一方、
織田信長に攻められた松永弾正は、
名器と言われた茶壷の土蜘蛛を渡すのを拒み、
そこに火薬を詰めて爆死しました。

「信長なんぞに渡してなるものか!」

名器を人類の宝と考えず、
単に自分の私物としか思わなかった。

榎本と松永のどっちの人物が大きいか、
言わずもがなのことだと思います。

過去の歴史を見ても、
昔から多くの人が言ってきたことを見ても、
結論は同じです。

「冬来たりなば春遠からじ」

「陰極まれば陽に転ず」

「夜明け前が一番暗い」

「人間万事塞翁が馬」

すべて同じことを言っています。

「人生におけるチャンスは、
ピンチの顔をしてやってくる。」

だから、
ピンチの時は慌てふためかず、
ほくそ笑みながら迎えてほしい。

就活で何十社から断られたとき、
何年も引きこもっていて抜け出せないとき、
婚活で100人から拒否されたとき、
最愛の伴侶が浮気をしていると知ったとき、
妻から一方的に離婚を迫られたとき、
突然リストラされたとき、
莫大な借金を背負って会社が倒産したとき、
交通事故で寝たきり状態になったとき、
不治の病と診断されたとき、
愛する人の命が理不尽に奪われたとき、
生きる希望を見失いそうなとき...

その暗闇が
果てしない底なし沼に思えるときに、
この質問を思い出してほしい。

「それで、どうするのが自分らしいのか?」

あなたは、
どのくらい大きくて素晴らしい自分を
表現できるでしょうか?

榎本武揚のように生きられるでしょうか?

それとも、松永弾正のように
小さな自分をさらすのでしょうか?

それを、無数の生命が見守っています。

あなたが、
かつてないほど大きな自分を選択したとき、
見守っていた生命たちは
歓喜の声を上げることでしょう。

あなたの選択が、
生命に偉大な経験を与えてくれたからです。

そして、それこそが生命の目的だからです。

私たちは、ともに、
あまりに現実的な空想の冒険劇を
楽しんでいるのです。

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