感情をしっかりと味わう

感情をしっかりと味わう

明けまして、おめでとうございます。

幸せ実践塾・塾長の赤木です。

今年も、みなさんが幸せになるために、
情報を発信して行きたいと思います。

どうぞ、よろしくお願いします。

さて今年の最初のメルマガは、
感情をしっかりと感じるという話です。

昨年知ったホ・オポノポノですが、
あれが問題解決手法というのが、
どうもよくわからなかったのです。

出来事はすべて、ウニヒピリ(潜在意識)が
見せてくれる記憶だ。

この考え方に特徴があります。

だから、その見せてくれた記憶を
クリーニングすれば良いだけだと言います。

そうすれば、
崇高な存在とつながりやすくなるのだと。

その手法として、
「ありがとう」などの言葉や、
いろいろな手法を使うのです。

昨年の終わり頃、
ロバート・シャインフェルド氏の本を
4冊ほど読みました。

そのことによって、
ホ・オポノポノや「神との対話」との
つながりが見えてきたように感じました。

そして、昨夜、面白い夢を見ました。

これがまたリアリティーがある夢なのです。

この夢で感じたことが、
上記の3つを結びつけるヒントになりました。

簡単に説明しましょう。

上司たちと宴会に出かける場面で、
私はもう十分だったのですが、
仕方なくついて行ったという感じでした。

そこで何かを注文するのですが、
なかなかそれが出てきません。

店員は悪気はなさそうですが、
要領が悪いというか、
こちらを満足させる対応をしてくれません。

そしてしばらくして、
もう精算させてくれと言ってきたのです。

その理由が聞き取れなかったので、
「どうして?」と何度も聞き返しました。

しかし、どうしてもその声が
聞き取れないのです。

だんだんイライラしてきて、
「ねえ、もっとこっちに来て言ってよ。
ぜんぜん聞こえないんだよ。」
と声を荒らげてしまいました。

ところが店員は、なんだか恥ずかしそうに、
ちょっとだけ近寄って話すのです。

かすかに「◯◯」と聞こえる気がしますが、
はっきりしません。

「わかんないよ。なに?◯◯?」

それは意味が通じる言葉ではありません。

そこで、こう言いました。

「それ、ちょっと紙に書いてよ。」

すると店員は店の奥へ行き、
しばらくすると手に何やら持って
戻ってきました。

そしてそれを私に、
ニコッと笑って渡すのです。

見るとそれは、
紙に包まれたお菓子のようでした。

その瞬間、私は爆発しました。

「そうじゃねぇーだろーがー!
さっき言ったことを紙に書けと
言ったんだよ!」

店員は、
なんだか困ったような顔をしています。

そこに、店の女主人のような人が、
何人かと一緒にやってきました。

私は、必死になって
これまでの経緯をまくしたてました。

ところがその女主人、
私に何か言うでもなく、
そのまま隣の部屋の方へ行ってしまいます。

そしてしばらくすると
隣の部屋の上司たちから、
「もう精算を済ませたから」として、
1人いくら支払えと言ってきたのです。

私は、なんとも言えない、
やりきれない気持ちになったのです。

正月早々に、そんな夢を見てしまいました。

「なんでこんな夢を見るかなあ。」

これまでの私なら、
縁起でもないと思って忘れるようにするか、
無視しようとしたでしょう。

でも、この日は違いました。

「まてよ、ロバート氏が本で、
夢は自分が見ているけど、
どう展開するか予想がつかないと
言ってたよな。」

ふと、そう思ったのです。

この世は「人間ゲーム」が行われていて、
そこでは本当の私が監督となって、
私のための完全没頭型映画を
創っているのだと。

つまり夢で見るようなことが、
実は現実なのだと言います。

それはすなわち、
夢も現実に近いとも言えます。

私は、ありありと感じる夢を見て、
その出来事に反応し、
私の感情が高ぶったのです。

不快を感じた時、
「プロセス」と呼ばれる方法を実践せよと、
ロバート氏の本にありました。

それで、
その「プロセス」をやってみたのです。

するとそのとき、これまたふと、
「ホ・オポノポノでやってることも、
要はこういうことじゃないだろうか?」
と思えてきたのです。

何かの出来事(この場合は夢でしたが)を
目の前にしたとき、
ただその記憶をクリーニングする。

これはつまり、
自分がそういう感情を感じたということを、
そのまま受け止めることだと思ったのです。

「あー、私はイラついたんだなあ。
やり切れない思いがしたんだなあ。」

それを感じ切るようにしました。

そして私は、
「無視されたような気がしたんだ」
と気づいたのです。

店員は悪気があったわけではないけど、
私が言うことに応えてくれなかった。

それを私は、
私が軽んじられたと感じたのです。

女主人の対応も、
上司が勝手に精算を済ませたことも、
私がやろうとしていることに関心を示さず、
まるで私など存在しないかのような、
完全に私を無視した対応だったのです。

「そうか、私には
そういう感情があったんだ。」

そして、これまで同様の感情を感じた時、
同じような出来事があったことが
わかりました。

つまり、私が言ったことを
しっかりと受け止めてもらえなかった
という出来事です。

それを記憶と考えることもできます。

「神との対話」では、
魂はすべてを知っていて、
それを体験したがっていると言っています。

つまりその知っていることとは、
記憶と言うこともできます。

それが目の前に繰り広げられ、
私はそれを体験的に知ったのです。

でもその感情を、
嫌なものとして遠ざけようとし、
消し去ろうとしてきたように思います。

本当はそれをしっかりと感じ、
受け止め、解放してあげれば良かったのに。

そう思った時、すべてが一致しました。

「そうか、
それぞれ違う言い方をしているけど、
要はそういうことだったのではないか。」

なんだか新年早々、
嬉しい気分になりました。

これまでなら縁起でもない夢を見たと、
嫌な気分になったかもしれません。

それが逆に、
素晴らしい体験をさせてもらったという
清々しい気分に変わったのです。

感情を受け止めるとは、
こういうことだったのか。

記憶をクリーニングするということは、
こういうことだったのか。

悪を悪と呼ばずに受け止めよとは、
こういうことだったのか。

そういうことが、
わかったような気持ちになったのです。

この話は、またセミナーでも
させていただこうと思いました。

セミナーのネタもできて、
さらに喜びが増えましたよ。

العربية简体中文EnglishFrançaisDeutsch日本語PortuguêsEspañolไทย