婚外子の相続格差は違憲ですか?

婚外子の相続格差は違憲ですか?

こんにちは!
たった4回の金気功でヒザ痛が完治した
赤木です。

実は昨夜、
その金気功をされてる野村先生と、
お弟子さんたちの会食に呼ばれたのです。

家元制度を導入して、
金気功を世界に広めたいと言われる
野村先生。

今後が楽しみです。

金気功についての詳細は、
ブログに書いてますのでお読みください。


http://4awasejsn.seesaa.net/article/373982919.html

http://4awasejsn.seesaa.net/article/340453542.html

さて、昨日のニュースは、
最高裁が違憲判決出したことが
話題になっていました。

http://goo.gl/JeDIRb

ニュースに寄せられたコメントは、
賛否両論が並んでいました。

曰く、家族制度が崩壊するとか、
婚外子への差別が1つ取り除かれたなど。

遺産相続目当てで、
金持ちの男性と関係を持とうとする
女性が増えるという、
バカバカしい予想もありましたね。

こういうのを下衆の勘ぐりと言います。

そもそも、
認知しないと親子関係にならないし、
認知した以上は、
相手の女性がどうかに関係なく、
親子ではありませんか。

私の考えは、
違憲判決は妥当だというものです。

なぜならこれは、
親が子に遺すべき財産を、
どう分与するかという法律だからです。

パートナーに遺す財産ではありません。

子どもは、
嫡出子であろうと非嫡出子であろうと、
平等だと思うし、
差別すべきではないと思います。

なぜなら、生まれる子どもは
親の婚姻状態を選べないから。

自分が自分で選べない理由で、
法律的に差別されることが
あってはならない。

そう考えるのが、
私らしい考えだと思うのです。

ただそこで、
嫡出子側はこんな風に考えるでしょう。

今までその存在すら知らなかったのに、
父親が亡くなった途端に現れて、
本来自分たちがもらえるはずだった財産が
奪われていく。

たしかに、そういう気持ちを抱いても、
仕方がないと思います。

でもこれも、
視点を変えることによって、
別の考え方も可能ですよね。

たとえば、
他のケースだって考えられます。

ある男性と同棲していた女性が
子どもを産み、
家族として仲良く暮らしていた。

男性は籍を入れるつもりはないと言うし、
女性も事実婚でかまわないと思っていた。

そしてある日、その男性が急死したら、
その男性の妻だという女性と、
その子どもが現れた。

ずっと別居していたけど、
法律的には結婚していたのだと。

籍が入っていることが重要だというなら、
たしかにそうなのだけど、
実態は、自分たちの方が
家族として暮らしていたのに・・・。

男性の財産のほとんどは、
この突然現れた家族に
根こそぎ奪われてしまった。

自分たちが住んでいた家も、
男性の名義だったために
奪われてしまった。

こんなケースだって、
十分に考えられますよね。

あるいは、こういう風に
視点を変えることもできます。

そもそも父親が財産を遺すかどうかは、
父親次第なわけです。

世の中には、財産どころか
借金しか遺さない男性だって、
たくさんいるでしょう。

あるいは遺言によって、
家族以外の人に財産の遺すという人も、
いるでしょうね。

そんな中で自分の父親は、
十分な財産を家族のために遺してくれた。

まったくもらえなくても当然だ
というところを基準にすれば、
わずかでももらえるなら嬉しいことだ。

さらにまたこの日は、
新たな兄弟姉妹がいることがわかった。

友だちが多い方が嬉しいのなら、
家族が多いことも嬉しいではないか。

新たな兄弟姉妹と、
これから良い関係を結んでいこう。

何もこのように考えなさいと
言っているわけではありませんよ。

いつも言うように、
考え方は人それぞれです。

その人の価値観に照らしてみれば、
その考え方は正しいのです。

ですから、
違憲判決を支持する考え方も、
反対する考え方も、
どちらも間違ってはいません。

それを、
どっちかが正しいなら他は間違いだと、
決めつけようとするから
争いが絶えないのです。

問題なのは、
他人がどう考えるかとか、
どう考えるべきか、
ということではないのです。

そうではなく、
自分がどう考えるかとか、
どう考えるべきか、
ということなのです。

その考え方をすることで、
自分が喜びを感じるなら、
それで良いのですよ。

なぜなら、
「これが自分だ」と
表明しているからです。

ただ、自分という存在は、
常に成長進化しています。

昨日の自分は、
もう今日の自分ではありません。

ですから、
昨日の考え方に縛られる必要性は
ないのです。

昨日は、
その考え方で喜びを感じたとしても、
今日はもう喜べないかもしれない。

問題はそのときです。

そのとき、
昨日の自分の考え方にこだわって、
今日の自分を表さないようにすると、
今日の自分が死んでしまいます。

成長し進化したがっている自分を、
文字通りに殺してしまうのです。

他人や周りの環境は、
いつでも自分が進化成長する
きっかけとなってくれるもの。

ですから、
自分と違うものが尊いのです。

自分と違っている存在があるから、
自分を見つめなおすことができます。

自分を見つめなおすことで、
新たな自分を取り入れることが
できるのです。

それが成長であり、進化なのです。

そう考えたら、
自分の意見に対して
必死になって反論する人の存在が、
ありがたいものだと思えませんか?

ドラマ「私の人生」に登場する脇役は、
すべて主人公を助けてくれる
天使たちなのです。

その天使たちの助けによって、
私たちは日々、進化成長するように、
この世はできているのですよ。

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