最後は泣いてしまいました

最後は泣いてしまいました

こんにちは!
タイの映画を観て泣いてしまった
赤木です。

先日のブログに関連記事を書いたので、
こちらもご覧くださいね。

http://4awasejsn.seesaa.net/article/361059182.html

前回、5月9日に配信した「SJ通信」で、
帰省のための航空券手配で起こった
ドタバタ劇を書きました。

日本では考えられないようなことが、
日常茶飯に起こるタイです。

今回はその続きを書きますので、
簡単に前回の概略を説明しましょう。

私は友人(日本人)にチケットの手配を
依頼しました。

チケットの取次業を始めたと言うので、
その支援みたいな気持ちからです。

ところが、
キャンセルできるのかと尋ねても、
回答が二転三転します。

そんなすったもんだを繰り返して、
最後は発券してもらうことにしました。

ところが、発券してもらったチケットを
航空会社のサイトで確認すると、
乗り継ぎの国内線が、
まったく別のものだったのです。

業者からは、
「それで問題ない」と言われますが、
さすがに信用できません。

航空会社に尋ねると、
サイトの表示が正しい内容とのこと。

やっぱりダメじゃん。

友人に訂正してもらうよう依頼し、
それからまたいろいろあったものの、
「13日(月)10時には正しく表示される」
という回答をもらったのです。

なぜこんなことになったかと言うと、
その原因の1つはコミュニケーションが
上手くとれていないことにありました。

チケットの依頼は私から友人へ、
そしてその彼女(タイ人)へ、
彼女の知り合いのタイ人女性へ、
タイ人女性の夫の外国人へ、
その外国人の国の旅行業者へ、
と伝わっていたのです。

これだけ伝言ゲームをやったら、
途中でおかしくなっても当然でしょう。

それでも何とか13日(月)10時には、
航空会社のサイトの表示が正しくなる。

そう言われたので、
私はそれを待ちました。

その結果、・・・

やはりと言うべきでしょうか。

13日の10時になっても、
サイトの表示は変わっていませんでした。

私は、
半分くらいは信じていなかったので、
友人に言いました。

午後まで待って変わらなかったら、
国内線を自分で予約するからいいよと。

私の友人いわく、
新しく予約を取り直して、
国際線の座席指定を
振り替えてもらおうとしたのだと。

けれども、
その手数料に1000バーツかかると言われた。

それはおかしいと彼女が言って、
交渉のために航空会社に向かっている。

だからちょっと待ってくれと。

最終的には、仮に1000バーツかかっても、
変更するように言ってあるからと
友人は言います。

それを聞いて私は、少し安心しました。

ところが、それもまだ甘かったのです。

一筋縄でも二筋縄でも行かないなんて、
さすがはタイですね。

これにはタイに慣れた私も脱帽です。

夕方になると、
また違うことを言ってきます。

それで私は、またその矛盾を指摘し、
私の希望は最初から言っているように、
たった1つなのだと伝えました。

それは、
当初予定していた便に乗れること。

それだけなのだと。

そして昨日、やっと正しく
サイトに表示される状態になりました。

結局、新しく予約を取り直したそうです。

詳細はわかりませんが、
業者の予約には問題がたくさんあって、
最終的には航空会社から
直接買うようにしたのだと。

友人と契約した格安のチケット代より、
はるかに高い金額で購入したはずです。

でも友人は、迷惑をかけたから、
元々の値段でいいよと言います。

私はこのとき、
ここは決断のポイントだと直観しました。

黙って友人の申し出を受け入れるのも、
1つの選択肢です。

だって当然じゃありませんか。

迷惑を被ったのは私です。

もともと友人が航空券の取次を始めたので、
助ける意味で利用してあげたのです。

特に安さを求めたわけでもなく、
これまで通りに予約して、
ちゃんと乗れればそれで良かったのです。

それなのに、
コミュニケーションが上手く取れず、
回答が二転三転するなどして、
客である私が翻弄されたのです。

ですから、
当初のチケット代を払うだけでも充分で、
迷惑料をもらってもいいくらいです。

しかし、
その選択肢には違和感を覚えました。

私らしいと感じなかったのです。

それで、もう1つの選択肢を考えました。

もし、
いつもの旅行業者に依頼していたなら、
おそらく友人が提示した価格よりも
1割くらいは高かったでしょう。

今回、友人は、
それよりもさらに高い値段で
チケットを買ってくれたのです。

その値段をすべて私が引き受けると言えば、
かえって友人を恐縮させてしまうでしょう。

だから、
「それくらいは払うつもりだったのだから」
と言って、少し多めに払ってあげたら、
友人も負担が減って助かるのではないかと。

私はすぐに、
この選択肢を採用することに決めました。

そうすることが、
自分らしいことだと思ったからです。

そしてそれを友人に伝えようとしたとき、
ふと私の頭にある考えが浮かびました。

「考えてみれば、
私の友人も大変だったんだよなあ。」

私は友人の視点で、
今回のことを振り返ってみたのです。

私からキャンセルのことなど質問され、
それを彼女に伝えて回答を得たものの、
なかなか要領を得なかったのでしょう。

そしてその矛盾点を、
私から指摘されることになりました。

私の信頼を取り戻そうとして、
彼女に対してしつこく問い詰めたでしょう。

けれども言葉に問題があるため、
なかなか意思の疎通ができません。

友人はタイ語がほとんどできないし、
彼女は日本語が少ししかできないのです。

英語も似たようなものです。

自分の考えが伝えられないもどかしさ。

友人である私に、
迷惑をかけていることの申しわけのなさ。

そんな思いの中で、
何度も彼女とケンカをしたと言います。

その重苦しい責任を、
どれだけ放り投げてしまいたかったことか。

けれども友人は、そうしませんでした。

最後まで踏ん張って、
私に迷惑をかけないようにしました。

自腹を切っても良いからと、
航空会社から直接チケットを買って、
対応してくれたのです。

そのドラマを想像した時、
私の目に涙があふれて来ました。

「大変だったよなあ。
それでも、頑張ったんだよなあ。」

本当に友人は、
どれだけの思いだったでしょう。

私の帰国の日が近づくにつれ、
責任感から胃がキリキリするほど
あれこれ考えたかもしれません。

その大変な思いが押し寄せてきて、
友人の思いに打ち震えたのです。

そして心から、
「ありがたいなあ」と思いました。

ぎりぎりのところで踏ん張ってくれた。

その友人の思いに、
ただただ「ありがたい」と思ったのです。

考えてみれば、
こんなに感動させてもらえたのも、
今回のドタバタ劇があったからです。

そのお陰で、
友人の素晴らしい一面に
触れることができました。

こんな体験は、いくらお金を払っても、
そう簡単にできるものではありません。

お金なら、
いつでもまた稼ぐことができるでしょう。

けれども体験は、
そう簡単には手に入れられないのです。

私は喜んで、高くなったチケット代の
一部を負担したいと思いました。

嫌々とか仕方なくではなく、
喜んで払いたいと思ったのです。

だって、嬉しかったのですから。

友人にも、そのことを伝えました。

自腹の金額は予想以上だったようで、
友人は私の申し出を喜んでくれました。

そしてそれ以上に、
私が書いた感謝の気持ちに心を打たれ、
思わず泣いてしまったようです。

いいおじさん2人が、
こんな他愛もないことで泣いています。

おかしいでしょ?

でも、いいのです。

他人から笑われても平気です。

だって私は本当に嬉しかったし、
感動したし、ありがたかったのです。

それで充分です。

生きるって、
そういうことじゃありませんか?

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