童貞と処女の意義(18禁)

童貞と処女の意義(18禁)

こんにちは!
スマホのゲーム、LINE POPにハマっている
赤木です。

詳しくはブログをご覧ください。

http://4awasejsn.seesaa.net/article/331429896.html

今週は自己ベストを更新して、
187万点台を叩きだしました。

これでトップ間違いなしと思っていたら、
友人がまさかの200万点突破。

また、やられてしまいました。(T_T)

さて、昨日に続いて(18禁)の話題です。

実は昨日のメルマガに対して、
質問のメールが届いたのです。

こういう反応があると嬉しいですね。

それで、
普段は週に1回くらいしか書かないのに、
さっそく、その質問に答えようと
思ったのです。

以下、
読者のSさんからのメールを引用します。

————- 引用始め —————-
セックスは好きなだけやれば良い,
そしてその後の文章で
そうすればレイプなど起こらないと.

この文面から,今日の記事は
男性に向けてのご発信かなと思いましたが,
先生は女性についても
同じようにお考えでしょうか?
それから先生は童貞性,処女性について
どのようなお考えをお持ちですか?
————- 引用終り —————-

「先生」と呼ばれると、
ちょっとこそばゆいですね。(^^ゞ

まあでも、呼び方は何でもよいので
お任せします。

それで質問の答ですが、
「女性も男性も同じです」
ということになります。

レイプというと男性をイメージしますが、
必ずしもそうではありません。

たとえば女性教師が男子生徒と
関係を持つ場合。

男性の方が暴力的なため、
レイプの可能性は高まりますが、
相手が同意しないセックスというのは、
必ずしも暴力による強制ばかりでは
ありませんからね。

「内申点が悪くなるよ」と脅して、
関係を持つことも可能でしょう。

あるいは騙したり、困惑させたり。

要は正常な大人の判断によらずに、
相手との関係を持つことが問題なのです。

それは相手を傷つけてでも、
自分の欲求を満たそうとする行為だから。

それと質問の前段ですが、
単にセックスをしていれば
レイプがなくなると
言ったわけではありません。

わかっておられるとは思いますが、
念のためにその部分を引用します。

————- 引用始め —————-
若いころは、
セックスが大好きなはずです。

思い切り、好きなだけやったらいい。

ただ、自分の感情に素直になることです。

そうすれば、レイプなんてあり得ません。

どうして嫌がっている相手を
無理に犯すことが楽しいのでしょう?

他人を傷つけて喜べるのは、
精神が幼いのです。

相手を叩いておもちゃを奪い、
それでも満足している段階の幼児と
同じレベルです。
————- 引用終り —————-

重要なのは、
自分の感情に素直になることです。

私たちは知らず知らずに、
他人の考え方に従うことに慣れてしまい、
自分の感情を無視するようになっている。

それが問題なのです。

次に、
「童貞性」「処女性」についてです。

ひとことで言うなら、
私は何とも思っていません。

童貞であることはもちろん、
処女を守ることにも
価値があるとは思いませんし、
逆に恥ずかしいこととも思いません。

なぜなら、
セックスによって人が汚れるとは
微塵も思わないからです。

また、セックスしない(できない)ことで、
人間性が損なわれるとも思わないからです。

なぜセックスすると
汚れると思うのでしょう?

汚れると思うから、
処女に価値あると感じるのでしょうからね。

私たちの体験は、
セックスを歓びだと教えてくれます。

それなのに理性は、
それを汚れることと判断します。

その理性は、どこから来たのですか?

他の誰かの価値観を、
無批判に受け入れているだけでは
ありませんか?

そして、それに従うことで、
自分自身の体験を無視する。

だから幸せになれないのです。

また理性は、どちらかに振れると、
それを逆に戻そうとします。

だから処女崇拝の思考が逆に振れて、
いつまでも処女(童貞も)でいることは
恥ずかしいことだ考えるように
なったのです。

なぜ恥ずかしいのですか?

セックスの経験がないと、
人間として失格なのですか?

単に周りの人間から
バカにされるからではありませんか?

ほら、あなたは今、
自分の体験よりも他人の価値観を
重視したのです。

ただ、これは私の考えです。

誰かに押し付けるものではありません。

あなたは、
あなた自身の考えに
したがえば良いのです。

と言うよりむしろ、
そうであるべきです。

処女に価値があると考えた方が幸せなら、
そう考えたらいい。

そうすれば、少なくともそれに関して、
恨みを抱くことはないでしょう。

怒りを感じたり、恨みを抱いたりするのは、
魂が「これは私じゃない」と
言っているからです。

その表現が、
怒りや恨みという感情なのです。

逆に喜びや幸せを感じるのは、
魂が「これが私だ」と
言っているのです。

そして、
赤ちゃんが成長していくように、
その感じ方もまた変化するでしょう。

以前は喜びと感じられたことが、
だんだんとどうでも良くなる。

あるいは、楽しめなくなる。

他人のおもちゃを奪っても、
最初は嬉しかったのに、
徐々にそれを嬉しいと感じなくなる。

そのときは、過去にこだわらずに
思い切って考え方を変えるのです。

今の自分にふさわしくない考え方は捨て、
新しい考え方を受け入れるときなのです。

すべて、
自分の感情を素直に感じるようにし、
体験を大事にすること。

それが私たちが進化するための、
最善の方法だと思うのです。

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