スカートめくりをしたことがありますか?(18禁)

スカートめくりをしたことがありますか?(18禁)

こんにちは、赤木です。

私が子どもの頃、
スカートめくりが流行っていました。

女の子のスカートを跳ね上げ、
パンツを見るという遊びです。

最近は、さすがに
そういうのはないでしょうねえ。

ある意味で、完全な犯罪ですから。

盗撮より悪いかもしれません。

けれども、私が子どもの頃は、
誰もがやっていたのです。

やらなかったのは、
私を含めて数名の男子だけです。

女の子のすきを狙って、
スカートをパッと跳ね上げる。

自分が見ると言うより、
その子のパンツを衆目にさらすことが目的。

時には気の弱い男子の手を握って、
あれよと言う間に隣の女の子のスカートに
指を引っ掛けさせてめくる。

「こいつがやったんだよー!」

犯人に仕立てられた男の子は、
恥ずかしいような、それでいて自分も
スカートめくりができたという嬉しさも。

めくられた女の子も、
必ずしも嫌がってはいません。

スカートをめくった男子を追っかけまわし、
カバンやスリッパで頭をパコーン!

「今度やったらタダじゃすまんよー!」

ヤクザも顔負けの脅しです。

ふざけあって、じゃれあってる感じです。

どうしてもめくられるのが嫌な子は、
スカートの下にブルマーを履きました。

私が小学校の頃は、
まだ提灯ブルマーと呼ばれる
ぼってりした感じの黒いパンツを
体操着として履いていました。

本来は体育の授業の時しか
履いてはいけないのです(校則で)が、
スカートめくり対策で履いていましたね。

今で言うなら、
テニスのスコートのようなものです。

下着のパンツを見せるのは恥ずかしいけど、
スコートやホットパンツならOK。

そういうことなのでしょう。

スカートをめくったとき、
女の子がブルマーを履いていると、
とても残念な気持ちになります。

「なんだよー。インチキじゃんかー!」

私は見ているだけでしたが、
やはりそう思いました。

ちょっと気の強い女の子だと、
わざと自分でめくって見せたりもします。

「ほら、ブルマー履いてるもんねー。
めくりたかったら、やってみなさいよ。」

人それぞれ感じ方は違うでしょうけど、
ある意味でおおらかに性を
楽しんでいたように思います。

もちろん、
相手が嫌がることをやることを
推奨しているわけではありません。

ここでは単に、
子どもながらに性的な関心を楽しみ、
遊んでいたという事実を示しただけです。

スカートめくりは、
テレビの影響だったかもしれません。

勢いよく通りすぎるときの風が、
女性のスカートをめくってしまう。

「オー、モーレツ!」

そんなCMが流行っていました。

おそらく映画「七年目の浮気」の
有名なシーンの影響でしょう。

映画は1955年の作品だそうですが、
マリリン・モンローが地下鉄の排気口の
上に立っていて、
そこからの風で白いスカートが
めくれそうになるのを手で抑える。

このシーンは鮮烈で、
いまだによく見かけます。

テレビに影響された部分もありましたが、
子どもながらに性的なものに
魅力を感じていたこともたしかです。

その証拠に、まだ小学校に上る前でしたが、
お医者さんごっこも流行っていました。

いえ流行っていたというのは
誤解を与える表現です。

密かに行われていました。

子どもながらに、
先生(保母さん)に見つかるとヤバイと
感じていたのでしょう。

3~4人の男子が1人の女子を連れて、
階段の下など人目につかないところへ行き、
男子がお医者さん、女子を患者に見立てて
診察するのです。

診察すると言っても、
要はパンツを脱がせて陰部を見たり
触ったりするのです。

さすがにまだ胸は大きくないので、
胸への興味はありませんでしたが、
なぜか生殖器への興味はあったのです。

私は、
自分で主導するほどの勇気はなかったので、
ただついて行って、主導的な男子の後ろから
見させてもらうだけでしたけど。

今、こんなことをやっているのがバレたら、
それこそ大問題でしょうね。

ただこのことから言えるのは、
まだ小学校にも上がらないうちから、
すでに性的な欲求(好奇心)がある
ということです。

また性的な欲求は男性だけで、
女性にはないと言う人がいまだにいますが、
それはまったくの誤解です。

たしかに男性と比べると弱かったり、
開花するのが遅かったりすることは
あるでしょう。

けれども、間違いなく
女性にも性的な欲求はあります。

今までは、
性的な欲求があると認めることは、
特に女性にとっては恥ずかしいことでした。

そもそも女性が性的に感じることが
あってはいけないものだとされ、
クリトリスを切除する民族もあったのです。

いえ、女性の割礼は、
いまだに行われているところがあります。

それもこれも、性的な欲求に対して、
恥ずかしいこと、いやらしいことという
価値観を与えてきたからです。

日本では、明治時代くらいまでは
比較的に性に対しておおらかでしたが、
西洋文化(キリスト教文化)が入ってから、
急に禁欲的になりました。

男女が一緒に並んで歩くことはおろか、
同じ教室で学ぶことさえ禁じられました。

若い男女が密会するなどすれば、
ただ会って話をするだけで
「ふしだら」と言われたのです。

女性は処女でなくてはならず、
レイプされて処女を喪失しようものなら、
生きている価値がないとして自殺をしたり、
自殺を強要されることもあったとか。

私が子どものころも、田舎でしたから、
男女交際は「ふしだら」なことでした。

小学校5~6年生のころ、
私は4~5人の男女のグループで、
よく遊びました。

そんなとき、母から言われました。

「近所の人で、「赤木さんちの息子は、
女の尻ばかり追いかけよる。」
と言う人がおるんよ。」

母は私を信じていると言いましたが、
奥手の私には想像すらしない評判でした。

いつも、
積極的に女の子と話ができたらいいのにと
思っていたからです。

グループで一緒になって遊んでいても、
意中の子には話しかけられない。

ましてや自分から横に並ぶとか、
手をつなぐこともできないでいたのです。

若い男女が手をつなぐことはもちろん、
並んで歩くことも「ふしだら」でした。

ですから私は、
学校のフォークダンスが大好きでした。

だって堂々と
女の子の手を握れるのですから。

意中の子と踊る順番が回ってくるのを、
どれほど心待ちにしたことか。

手と手をつないで、
くっつきそうなくらい身体を近づけて
歩くことができる。

この瞬間が永遠に続きますようにと、
どれほど願ったことでしょうか。

今なら、
街中で女の子の腰に手を回すくらい、
普通に感じられるでしょう。

軽いキスくらいも、
まあ許容範囲でしょうか。

さすがにディープキスでもしようものなら、
「日本人には似合わない」と
嫌悪される方も多いかも。

これが西洋人のカップルなら、
違和感もなく受け入れられるのに。

おそらく、
テレビや映画などで、そういうシーンを
数多く見ているからだと思います。

つまり、
隠してきたから恥ずかしいだけなのです。

恥ずかしいから、いやらしいと感じるし、
「ふしだら」になるのです。

仮に裸やセックスだって、
それを見る機会が増えれば徐々に、
恥ずかしいとも感じなくなるでしょう。

実際、
1部屋しかない家で暮らす民族では、
子どもがいても関係なく
セックスすることが多いようです。

裸族やヌーディスト村の住人は、
裸を恥ずかしがったりしません。

性的なものを恥ずかしいと感じるのは、
後天的に作られたもの。

私たちが作った価値観が、
私たちにそう感じさせているのです。

それを理解するだけでも、
性に対する自由度が広がると思うのです。

タブーをなくすことは、
幸せになる上で重要なことなのですから。

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