自分の人生は自分で創る

自分の人生は自分で創る

こんにちは、赤木です。

人は、
いったい何のために生きるのでしょうか?

人生における目標ではなく、
人としての生きる目的です。

私はこのことを、ずっと考えてきました。

その過程で得られた答は、
だいたい以下のようなものです。

1.幸せになるために生きる
2.人生の目的を探すために生きる
3.生きる目的などない
4.神のみぞ知る

もし、あなたが
他の答えをお持ちでしたら、
ぜひ教えてくださいね。

今後の参考にさせていただきますので。

この4つは、それぞれ的を射ていそうで、
論理的におかしい部分があります。

まず1番目の「幸せになるため」ですが、
幸せになったらどうなるのでしょう?

あるいは、
幸せになれずに死んだら、その人の人生は
いったい何だったのでしょう?

そういうことを考えると、
幸せになるというのは
目標としては素晴らしいと言えますが、
目的というのはおかしな話です。

2番目の
「その目的を探すため」というのは、
哲学的には面白いですけど、
どう考えても詭弁です。

3番目の「目的はない」というのは、
あり得る解答です。

しかし、そうだとすると虚しさが残ります。

人の生には、
いったいどれほどの価値があるのかと、
その価値を疑いたくなります。

もし価値がないとすれば、
人の命を弄んだとしても、
どこに問題があるのでしょうか?

自分がされたくないからだけであれば、
力と力の勝負ではありませんか?

ルールのない弱肉強食の争い。

それが人の運命なのでしょうか?

どうしてもそれを、
心の底から認めることができませんでした。

4番目の「神のみぞ知る」というのは、
2つの要素があります。

まず、
神は何らかの目的(=人が生きる目的)で
人を創ったということです。

つまり、目的はあるのです。

しかし、神はまた何らかの理由で、
それを人に教えなかった。

いったいなぜ?

それさえ、
神のみぞ知るということでしょうか?

これでは永遠に人生の目的には迫れません。

神が教えてくれるまで、
ただ待てば良いのでしょうか?

それまでは、
どう生きれば良いのでしょうか?

この4番目の考えは、
世の中の宗教が利用してきたことです。

神の御心は、
一般の人が知ろうとしてはならない
と言うのです。

それは神から選ばれた
指導者を通じて伝えられるから、
その指導者に従うようにと。

こうして、
人々を服従させる仕組を作った宗教が、
どれほどたくさんあるでしょうか。

そして、その宗教同士が争っています。

自分たちの宗教こそが正当で、
他の宗教は神が支持しないと言って
争い合うのです。

はたから見れば、滑稽そのものです。

なぜ神がいるなら、
争いを宗教間にもたらすのでしょう?

その問に論理的に答えられなければ、
本物の宗教とは言えない気がします。

私の今の結論は、
すでにブログなどでも書いた通りです。

人が生きる目的は、体験するためです。

自分らしさを体験し、喜ぶためです。

感動するためです。

その目的のために、人間も含めてこの世は、
最高の形に創られています。

自分が何を体験したいかを決めて、
この世に生まれてくることができます。

そして、その目的のために、
最も適した環境を選ぶのです。

それは誰を両親とするか、
どんな肉体や性格を持って生まれるか、
どんな人と関係を持つか、
といったことです。

さらに素晴らしいのは、
その選ばれた環境の中でどう生きるかを
自由に決められるということ。

その意志によって自分の人生を創り、
さらなる体験ができるようになっている
ということです。

この結論だけを聞くと、
突飛な感じがするかもしれません。

けれども、このことは
大昔から言われ続けてきたことなのです。

そう言われてきたけれど、
多くの人は文字通りには信じなかった。

そのために、自分に都合よく解釈し、
間違った理屈を積み重ねてきたのです。

「ザ・シークレット」というビデオを
ご覧になられた方は多いと思います。

まるで秘宝か何かのように言われてますが、
そうではありません。

いわゆる「引き寄せの法則」です。

これとて、目新しいことではありません。

思考は現実化するとか、
潜在意識の働きなどとも言われますし、
もっと以前からも言われています。

たとえば、「人を呪わば穴二つ」とか、
「類は友を呼ぶ」というのも、
同じことを言っています。

これだけたくさん、
「人が考えたことが現実に起こる」
と言われているのに、
「自分が自分の人生を創る」と言うと
突飛なことと思うとしたら、
それこそおかしなことです。

もちろん、
多くの人が信じない理由も理解できます。

自分の人生では、
思った通りのことが起こっていない、
と思っているからです。

けれども、それは
自分が思ったことを正確に捉えていない
可能性が高いです。

「金持ちになりたい」と
しょっちゅう思っているのに、
宝くじも当たらない。

だから、思ったことは実現しないと
思っているのでしょう。

けれども、それは違います。

「金持ちになりたい」と思ったのですから、
「金持ちになりたい」という自分が
再創造され続けているのです。

潜在意識は判断せず、
コピー機のように思考をコピーし続ける
と言われます。

「金持ちになりたい」という思考に対して、
「わかった、では金持ちにしてやろう。」
とは言わないのです。

「わかった、
あなたは金持ちになりたいという人だ。」
という答を返すだけなのです。

もしあなたが、
自分以外の何かによって
自分の人生は創られると信じるなら、
そのとおりになるでしょう。

なぜなら、あなたが
そう考えたからです。

自分の思考が自分の人生を創るとしたら、
そうなりますよね?

「親の育て方が悪いから、
こんな人生になったんだ。」

もしそう言うなら、
その思いがこれからの人生を創ります。

だから、
人生の責任を自分で引き受けた方が良いと
思うのです。

誰のせいでもなく、
自分が考えた結果が今の私の人生だ。

そう思うことによって、
やっと自分で人生を創るスタートラインに
立てるのです。

そのとき、
罪悪感を持っていると上手く行きません。

罪悪感とは、
「自分が悪い」つまり
「自分=悪い,ダメ,無価値」だと
思っていることになります。

その思いがどんな人生を創りだすか、
言わずともおわかりでしょう。

結果は単に結果に過ぎません。

「こんなんでました~」

そんなギャグがありましたが、
そんな感じでいいのです。

結果を味わい、
これは良くないと思ったなら、
原因を変えることです。

できあがった結果を変えようとするから、
苦労する割に上手くいかないのです。

もう下火になったかもしれませんが、
赤塚不二夫さんのマンガのキャラで、
天才バカボンのパパというのがあります。

その決めゼリフが、また素晴らしいですね。

「これでいいのだ~」

結果に対しては、肯定しかありません。

結果とは現実であり、出来事です。

肯定して、不要ならそっと手放すのです。

そのためには、
常に幸せであることが重要になります。

幸せとは、現実を受け入れ、
「これでいいのだ~」
と言うことなのですから。

染み付いた考え方の習慣を変えることは
大変でしょうけど、不可能ではありません。

実際私も、そうして変えてきました。

これからも、さらに変えていくつもりです。

あなたも一緒に、
考え方を変えていきませんか?

そして、
自分が意識して思った通りの人生を、
創っていきましょう。

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