今日が最後だと思って生きる

今日が最後だと思って生きる

こんにちは!

まだ腰の筋肉痛が続いている
赤木です。

どうも腰の右後ろ側にしびれがあるようで、
相変わらず痛みがあります。

明け方4時くらいに目が覚めると、
痛みでしばらく眠れないことも。

昨夜は柔軟体操をみっちりやったせいか、
多少楽になりましたけどね。

これも、「もうちょっと労ってよ」という、
身体さんからのサインだと思っています。

さて今日は、私の幸せ実践の1つ、
「今日が最後だと思って生きる」
ことについて、話すことにします。

茶道では「一期一会」と言いますが、
人との出会いは、
いつが最後になるかわかりません。

ですから、この出会いが最後かもと思って、
誠意を込めてもてなす。

それが「一期一会」の精神だと思います。

私がこのことを深く考えたのは、
20歳くらいのころだったと思います。

そのころ、大好きな渡辺真知子さんの、
「愛することだけすればよかった」
という曲をよく聞いていました。

これは、
恋人が交通事故で死んでしまった後の、
切ない思いを歌ったものです。

おそらく、恋人の要求に
十分に応えてあげなかったという
後悔があるのでしょう。

歌詞の一部を引用しましょう。

◆———–(引用開始)————◆
「また電話するよ」と言ってた

そしてあなたは 夕焼けに消えた
ちぎれたガードレール 予期せぬDestiny

高速が 流れてく
何事も ないように

愛することだけすればよかった
あなたのことだけ それでよかった
◆———–(引用終了)————◆

一緒にいる時は、
その状態がずっと続くものだと、
勝手に思い込んでいるのです。

本当は、
まったく保証されたものじゃないのに。

その勝手な思い込みから、
相手のちょっとしたことが
気に入らなくて怒ってみたり、
気を引こうとしてわざと無視したり。

そうやって相手を、
コントロールしようとしてしまいます。

相手がいなくなって初めて、
それが無意味なことだった、
ただ愛するだけで良かったのだ、
とわかるのです。

私は渡辺真知子さんのこの歌を聴きながら、
自分はそういう後悔をしないようにしよう、
と思ったのです。

まあそうは言っても、
なかなか実行できなかったのですけどね。

それが証拠に、50歳近くになるまで、
愛の何たるかがわからなかったのですから。

今は、たとえば朝、出勤するときなど、
必ず心の中で思います。

「これが妻と顔を合わせる
最後になるかもしれない。」

そして、心の中で言います。

「いつもありがとうね。
あなたと出会えて良かった。
私は、本当に幸せ者だ。」

そういう思いを抱きながら、
まだベッドから起き上がらない妻に、
「行ってくるよ」と言ってキスをします。

以前は必ず玄関まで
見送ってくれたんですけどねえ。

最近は横着になっています。(笑)

それでも私は、
妻をとがめる気持ちにはなりません。

安心して横着をしている姿に、
私を信頼している妻の心を見るのです。

何も自慢したくて
言っているのではありませんよ。

怒りたくなる状況があったとしても、
見方次第でどうにでも思えるということを、
お伝えしたいだけなのです。

この「今日が最後かも」という生き方は、
マハトマ・ガンジー氏も言っていますよね。

「明日死ぬと思って生きなさい。
永遠に生きると思って学びなさい。」

この言葉は、
大変に深いものがあると思います。

また「神との対話」の著者の
ニール・ドナルド・ウォルシュ氏も、
同様の気持ちで生きていると言っています。

「精神世界が見えてくる」という本の
インタビュー記事です。

怖れから解放されるための方法を問われて、
彼はこう言っています。

「私自身のコツは、毎日を人生の最後の日、
というふうに考えて暮らすこと。
人間関係を完結しないで終わらせることを
しないこと。
人と出会ったらこれが最後の出会いと思い、
知らせておくべきことがあったらすべて
知らせておくこと。
そんなことを心がけて行動しています。
死ぬ準備が心のなかでできていれば、
100パーセント人生を生きることが
可能になると思います。
そうでないかぎり、怖れを取り去ることは
とてもむずかしいです。」
(p.36 – 37)

人間関係においては、
相手から何かを得ようとしていると、
へんな駆け引きをしてしまうものです。

人間関係が、
そのときの最高の自分を表現する
機会だと思えば、
駆け引きなんてする必要がありません。

怒ったり、すねたり、
喜劇役者を演じたりして、
相手をコントロールしようとする。

何かを欲するから、
そんなことをするのです。

何も必要でなければ、
そんなことをする必要はないのです。

ただただ誠実に、
ありのままの自分を見せるだけでいい。

しかもとびっきり素晴らしい自分を。

そして、そういう機会を与えてくれた
相手に感謝するのです。

「ありがとう。あなたがいてくれたから、
今の私があるんだから。」

それで十分なんですよね。

だから、いつ自分が死んでも、
逆に相手が死んでも、
それはそれで受け入れられる気がします。

「ああ私は今、最高に愛しているんだ。」

そういう満足感があれば、
もういつ死んでもかまわない、
という気持ちになれるのです。

いかがでしょう。

高山さんも今日から、
これが最後と思って生きてみませんか。

きっと、人生が変わりますよ。

◆メルマガの感想をお待ちしています

またメルマガの感想をいただきましたので、
シェアさせていただきますね。

・2月22日のメルマガに対して

【Oさん】
いつもありがとうございます。
モヤモヤを解消させて頂いて居ります。

【Hさん】
出来事はニュートラル!
なるほどな~と思いました。

いつもありがとうございます。

腰は筋肉痛でよかったです。
ホッとしました。

こうしてコメントをいただいたり、
身体のことを気遣っていただけると、
本当に嬉しいです。

ありがとうございます。

いつも、
これが最後のメルマガになるかも、
と思って、心を込めて書いています。

思いがみなさんに届き、
少しでも役立つことを願っています。

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