他人を批判・非難しない

他人を批判・非難しない

こんにちは!

日曜日に久々に病院へ行った
赤木です。

明け方4時くらいに目が覚めると、
右腰のやや上が痛みます。

激痛ではないもの、
気になって眠れないほどの鈍痛。

腰を痛めるようなことは何もしてないので、
原因不明の不安がありました。

しかしそこは日頃鍛えた技、
安心していることを心がけ、
冷静に対処方法を検討しましたよ。(笑)

病院へ行くとしたら、パスポートを
会社まで取りにいかないといけない。

反政府派の占拠地域を通過するので、
明るくなってからの方がいいな。

ソフトボールへ行く予定だったので、
道具と同乗者をグランドまで送って、
それから病院へ行けたら最高。

8:30出発予定なので、
それまで、痛みがひどくならないか?

ひどくなったら、電話で同乗者に連絡し、
タクシーで病院へ。

死ぬことはないだろうけど、
仮に死んでも悔いはないし…。

あ、妻に「ありがとう」って言わなきゃ。

そんなことを考えましたが、
6時くらいに痛みが少し収まったので、
最高の形で病院へ行けました。

結果は、おそらく寝違えたのではないか、
とのことでした。

なんだ。ただの筋肉痛ですか。

まあでも、
大したことがなくて良かったです。

さて今日は、他人を批判・非難しない、
という実践についてです。

これは道徳の問題ではありません。

自分が自分らしく生きるために、
自分をより大きな存在とするために、
やった方が良い実践なのです。

先日、森元首相の
フィギュアスケートに関する発言が、
国民的な話題となりました。

ショートプログラムでミスした
浅田真央選手のことを悪く言ったと
受け止められたからです。

そのニュース記事を読んだ多くの読者が、
森元首相を批判しました。

しかしその後、発言の全文を読むと、
ニュアンスが違うという情報があり、
それほど悪くないという意見もありました。

しかし、
それでもまた別の失言があったなど、
批判や非難が続いたのです。

この一連の騒動について、
あなたはどう思いますか?

私は、最初の報道のとき、
違和感を覚えました。

いくらなんでも、そんなひどいことを
このタイミングで言うだろうか?

そして全文を見てという情報があって、
やはりそういうことかと思ったのです。

しかし、私の知り合いには、
最初のニュースで激高した人も
少なからずいました。

Facebook上でちょっと議論したのですが、
意見は噛み合いませんでしたね。

https://www.facebook.com/aakaki/posts/586880558056587

その人は、
浅田真央選手の頑張りを知っているから、
「肝心な時にコケる」という発言が許せない、
と言います。

たしかに表現としてどうかと思いますが、
それでも私は、そんなに怒る必要もない
と思うのです。

(怒ることが間違いという意味では
ありませんからね。)

「神との対話」の最初にあるように、
言葉というのは制約の多い
コミュニケーションツールです。

ましてや書かれた文字になると、
ニュアンスが伝えづらくなります。

メールで何かを伝える時は、
慎重に言葉を選んだりもします。

それでも真意が伝わらず、
誤解されて怒らせてしまうことも。

また日常の会話でさえ、
意図を誤解されることがままあります。

ですから、
言葉尻を捉えたり揚げ足を取るというのは、
やらない方が良いと思うのです。

まあそういうのを得意としていた私が
言うのもなんですが。(笑)

いつも言うことですが、
出来事はニュートラル(中立)です。

つまり良いも悪いもないのです。

その人が持っている価値観が、
それを良いとか悪いと
判断しているだけです。

まず、この理屈を徹底的に
頭に叩き込むことをお勧めします。

感情的には納得できなくても、
理屈で考えたらその通りだとわかるまで、
よーく考えてみてください。

これが理解できると、第一段階突破です。

そして、
何かに反応して怒ってしまったときは、
何に反応してしまったのかを
考えてみましょう?

おそらくそれは、
自分が傷ついたと感じたはずなのです。

怒りは、不安から生じます。

「助けてくれー!」という
心の叫びなのです。

先ほどの森元首相の発言では、
こんなことが考えられます。

これまでに一所懸命に努力してきたことが
認められなかったり、バカにされて
悔しかった経験があるとしましょう。

そういう人は、
浅田選手に感情移入してしまいます。

つまり自分と浅田選手を同一視するのです。

ですから
浅田選手がバカにされたと思うと、
そのまま自分がバカにされたと感じます。

過去の記憶の奥底の感情がよみがえり、
それが怒りとなって噴出するのです。

こういう構造が見えてくると、
もう対処するのは簡単です。

冷静に考えてみましょう。

まず浅田選手は、自分とは違う人です。

仮に
浅田選手がバカにされたからと言っても、
自分がバカにされたわけではありません。

今回は特に、
浅田選手が「なんとも思ってない」という
大人の反応を示したことが、
後に報道されました。

浅田選手が何とも思ってないのに、
自分が怒るというのは、おかしなことです。

そして、過去の自分は、
その悔しさをどうにもできずに、
心に傷として残したかもしれませんが、
今の自分は、
傷つかない選択肢があるとわかります。

つまり、
森元首相も悪気があって
発言したわけではないのだからと、
許すこともできるわけです。

こういうように考えると、
浅田選手がバカにされた件で、
自分が怒る必要性はないのだと
理解できるでしょう。

もっと簡単に言えば、
怒るかどうかを決めるのは、
考え方次第だということです。

他人から何を言われようと、
それで自分が傷つかないことを選ぶなら、
怒る必要性がありません。

今まさに攻撃を受けようとしている時なら、
アドレナリンを出して対処することも
必要かもしれません。

けれど、発言は終わっているのです。

今、攻撃を受けているわけではないのです。

ですから、冷静に考えれば良いのですし、
この出来事をどう自分に役立てようかと、
他の見方を探すこともできるわけです。

仮に森元首相の発言を
本当に悪いと価値判断したとしても、
それは反面教師にするだけで
良いではありませんか。

悪い見本を見せてくれたお陰で自分は、
他の人を傷つけずに済むようになった。

そう考えられたら、
むしろ感謝すべきことではないでしょうか?

このように、
冷静に自分の考え方を組み替えるのです。

自分らしいと思える見方を選ぶのです。

これが第二段階です。

この第二段階は、
最初はぎこちないでしょう。

どうしても怒りを燃やす方向に
考えがちになるかもしれません。

そんなときも、あわてないでください。

すぐに最高の自分が表現できなくても
良いのですから。

赤ちゃんは、
何度もコケながら立ち上がるのです。

その間にイライラしたりしませんよね。

立ち上がることを楽しんでいます。

ですから、
私たちも最高の自分を表現する練習を
楽しんだら良いのです。

あとはこのやり方を身につけるために、
日々の訓練があるだけです。

最初はすぐにはできませんが、
怒ったあとでも、
怒りを正当化するのではなく、
見方の変更をやってみましょう。

そのうち、
そうすることが習い性になるはずです。

そういう思考の組み換えが楽しくなると、
事例を探してしまうかもしれません。

どこかに怒らせるようなことがないかな?

ほら、もう、
あなたはゲームを楽しんでいます。

これが習慣化されれば、
そう簡単には怒ることがなくなります。

つまり、他人を批判・非難しなくても
済むようになるのです。

幸せは意思です。

幸せになりたいなら、
幸せだと決めれば良いのです。

何が起ころうと関係ありません。

どんな出来事もニュートラルですから、
それを良いと思えるように、
自分の価値観(思考)を変えるのです。

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