批判する人への対応

批判する人への対応

こんにちは!

ついに無職になることになった
赤木です。

昨日の朝、本社からのメールで
解任を通告されました。

6月15日付けで退職します。

ある程度予想していたとはいえ、
やはりそれなりにショックはあります。

まあしかし、
これも自分が蒔いた種ですからね。

54歳での再出発は、
一般的にはかなりハードルが高いでしょう。

でも、
これも人生が与えてくれた挑戦だと思い、
さらにバージョンアップした自分を
目指したいと思います。

一番気が重かったのが、
これを妻に伝えること。

でも昨夜、食事の後で、
勇気を振り絞って話をしました。

隠しておけることではありませんから。

すると妻は、
明るく振る舞って励ましてくれました。

すぐに安いアパートに引っ越す段取りまで
決めてしまいましたよ。

さすがだ!素晴らしい神対応。

妻には、申し訳ない気持ちと、
有り難い気持ちでいっぱいです。

このことは、
メルマガにも詳しく書こうと思いますが、
今日はとりあえずお知らせのみで。

明日以降を、楽しみにお待ちください。

さて今日は、批判する人への対応
という話です。

昨日のメルマガに対して読者のNさんから、
すぐに感謝のメールをいただきました。

それとともに、
新たな質問も寄せられました。

以下、メールから抜粋します。


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(娘さんの)
友人に、とても批判的な人がいるらしく、
「どうして自分には関係ないのに、
あんなに批判するんだろう…」と、
渋い顔をしていたものですから^^;

今日はとてもスッキリした顔をしていました。

と同時に、
「なんて言ってあげたらいい?」
と私に聞いてきたので、

「何も言わずに、聞いてあげとけばいいよ。」
と言い、続けて、
「『あなたはどう思う?』って聞かれた時は、
その件については、私は関係ないから
特に何も思わないよって言えばいいよ。」
と言っておきました。

これで良かったのでしょうか^^;?

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Nさんが娘さんから問われて、
上記のように答えられたのですね。

私は、Nさんの回答でいいと思います。

他人のことは他人が決めればいいので、
基本は「あなたと私は違う」であり、
「違っていていい」のです。

私も経験があるのですが、
しょっちゅう批判や悪口を言ったり、
愚痴っぽい人とかいますよね。

その人の話を聞いているだけで、
こちらが嫌な気分になります。

「もういい加減にしたら。
愚痴るくらいなら、
直接本人に言えばいいじゃないの!」

そう怒鳴りたくなりますし、
そう言ったこともありました。

でもそれは、
自分のエゴが反応しているのです。

まず1つ言えるのは、
「他人は変えられない」
ということです。

これは、
「他人を変えようとしてはいけない」
ということでもあります。

なぜなら、
愛なら相手を自由にさせるからです。

その人は、愚痴を言うことで、
その経験をしようとしています。

それなのに、
それをやめさせようとするのは、
その人の経験の機会を奪うことになります。

いくら自分がそのレベルを卒業したと言え、
他人の学習の機会を奪う権利はありません。

したがって、
他人を変えようとしてはいけないし、
好きなようにさせておくべきなのです。

もちろん、アドバイスを求められたなら、
どうぞしてあげてくださいね。

求められもしないのに言うのは、
余計なおせっかいというものです。

でも、そうすると、
聞かされる自分が嫌な気分になります。

この「嫌な気分」になるのは、
自分の問題だとわかりますか?

それがわかれば、
相手を変えようとするのではなく、
自分が変わるべきなのだとわかるはずです。

そのための方法としては、
簡単なのは逃げることです。

どうしても自分が反応してしまい、
嫌な気分になってしまうなら、
その状況から離れることです。

そういう人とは付き合わないこと。

これが一番ですね。

もし、余裕があるのでしたら、
その人を憐れむのもいいですが、
それよりも「頑張っている人だ」と
見てあげましょう。

これはバシャールなども言っていますが、
障害者などへの見方と同じです。

彼らは、
憐れむべきかわいそうな人ではなく、
自らハンデを負って、
より高い自分を目指している
チャレンジャーなのですから。

同じように愚痴を言う人も、
その人自身が苦しんでいます。

そうまでして、
その経験をしているのです。

ですから、
「愚痴を言ってもなんにもならないのに、
それがわからないかわいそうな人」
ではなくて、
「愚痴を言わざるを得ない自分を選んで、
より大きな自分に成長する過程を
がんばって経験しているんだなあ」
と思ってあげることです。

「そうか、がんばってるんだね。」
と、微笑ましく感じてあげましょう。

次に、この出来事を自分が創造している、
という観点で見てみましょう。

人生に起こることは、
すべて必然で無駄がありません。

と言うことは、
愚痴を言って嫌な気分にさせる人も、
自分が自分のために創造したのです。

そういう人と出会うことが、
自分のためなのですね。

その出来事によって
自分がネガティブな反応をしてしまうなら、
そこに自分が成長するための課題があります。

自分が挑戦したい課題があるから、
そういう出来事が起こるのです。

そういう観点で考えると、
自分が何らかの対応をした時、
どういう感情が湧くかを観察することが
重要だとわかると思います。

たとえば逃げることで、
後ろめたさを感じることもあります。

自分は友達に対して冷たい人間だとか、
自己卑下してしまうかもしれません。

また、「あなたはどう思う?」と問われて、
心にもないことを答えることがあります。

「もちろん、そうでしょ。」

そう言って相手に同意してみせたのは、
どうしてでしょうか?

相手に気に入られたいから、
捨てられたくないから、
相手から攻撃されたくないから・・・。

そこにもまた、
自分自身への挑戦があります。

そこで自己卑下しないでいられるかどうか。

他の何かに執着せず、
自分に正直でいられるかどうか。

そういう課題に直面させられたのです。

その時に重要なのは、
今の自分をありのままに受け入れることです。

今はまだ力がなくて逃げたけど、
次はもっと上手くやれる、
などと考えることです。

反応してしまわなかっただけ、
自分も成長したんだなあと、
自分の成長を喜ぶことです。

最初から、完璧にはなれません。

生まれてすぐに
走り出す赤ちゃんはいないのです。

自分のスピードで成長すれば、
それでいいのです。

それを受け入れることが、
成長が遅い人を受け入れる気持ちも
育んでくれます。

すべての出来事は、
自分に成長する機会を与えてくれます。

ですから、
その機会である出来事を喜び、
決して忌み嫌わないことですね。

「神との対話」では、こう言っています。

「難題に挑戦するなら、
困難な時もあるだろうと
覚悟する必要がある。
難題や困難を避けようとしてはいけない。
難題や困難を歓迎しなさい。
心から歓迎しなさい。
神からの偉大な贈り物だと思いなさい。
他との関係のなかで--そして人生で--
するべきことができる
栄えある機会だと思うことだ。
困難にぶつかったとき、
パートナーを敵だの対立相手だのと
考えないように努力しなさい。
どんなひとも、どんなことも
敵だと思わないこと、
それどころか問題だとも思わないことだ。
すべての問題を
チャンスだととらえる力を養いなさい。」
(p.190)

私たちの周りは、
チャンス(機会)にあふれています。

本当に、有り難いことですね。

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