信頼すれば不安はなくなります
- 2014.01.20
- 2014年
こんにちは!
帰タイ後1周間ですが、まだ鼻水と咳が出る
赤木です。
先週、セミナーなどで一時帰国しましたが、
そのとき軽い鼻風邪を引いてしまいました。
それがなかなか治らず、今に至っています。
実はバンコクも、数日前から寒いのです。
と言っても、日本よりはるかに
暖かいですけどね。
養生して、早く治したいと思います。
さて今日は、
不安をなくすことについてです。
Facebookページやブログに、
2007年ころの思い出を載せました。
「運命の出会いについて」という記事で、
チンタナーさんとの出会いについてです。
こんなことがあった2007年、
私は不思議な体験をしました。
それまで本を読んで得てきた知識が、
スーッと腑に落ちたという体験です。
完全な安心感に包まれ、
「なんだ、不安に思う必要はないんだ。」
と、心からわかったのです。
出社後だったのですが、
ボロボロと涙がこぼれてきて、
社員に見つからないようにするのに
苦労しましたよ。
私たちが「知る」と言うとき、
2つの段階があるように思います。
1つは単に頭で理解するというレベル。
もう1つは、
腹の底からわかるというレベル。
私の体験は、
この2つ目のレベルだったのでしょう。
おそらくこれは、「信念」と表現するのが
ぴったりだと思います。
「確信」とか、平易に「信じている」でも
同じような意味になるかと。
陽明学の開祖の王陽明は、
「知行合一」ということを言いました。
知っていて行動できないなら、
それは知っているうちにはいらないと、
行動することを求めたものでした。
晩年の三島由紀夫氏が傾倒したこともあり、
過激な思想と思われることもあります。
けれどもこれは、
「知る」ということの2つ目のレベルを
言っているだけのように思うのです。
たとえば水が欲しいとき、蛇口の前でただ、
たたずんでいるだけの人はいませんよね。
さっさと蛇口をひねって水を出すでしょう。
なぜかと言えば、
「蛇口をひねれば水が出る」
と知っているからです。
「そんなの当たり前じゃん。」
そう言われるかもしれませんが、
どうして蛇口をひねれば水が出るのか、
理論的に説明できる人がいるでしょうか?
たとえば水の入ったバケツに
蛇口の下側を挿して、蛇口をひねっても
水は出ませんよね?
そう、圧力がかかってないと、
水は出てこないのです。
では、どうやって圧力をかけるのですか?
圧力は、かけ過ぎると、
水道管を壊してしまうこともあります。
どうやって調整しますか?
どういった素材のものを、
どういう工法で組み上げれば、
望んだものができますか?
それらがわかって初めて、
「蛇口をひねれば水が出る」ことが
理論的にわかったと言えるのです。
しかし私たちは、理論はわからなくても、
体験的にそれを知っています。
そして、そうなることを疑いません。
ですから迷うことなく、
蛇口をひねって水を出すのです。
これが、「知る」ということの
2つ目のレベルなのです。
つまり「信念」を持っているし、
水が出ると「確信」しているのです。
この「信念」のレベルに至ると、
人は迷うことなく行動します。
これが「知行合一」なのです。
つまりこの言葉は、
「知識を信念のレベルにまで高めなさい」
という意味なのだろうと、私は思います。
「信念」のレベルになれば、
自動的に行動するようになるのです。
ですから、
私が体験から申し上げるならば、
まず第1段階としては頭で理解し、
次にそれを信念にまで高めることです。
そうすれば私のように、
絶対安心の境地に至ることが
誰にもできると思います。
聖書では、
重要なのは「信仰」だと言います。
この「信仰」というのも、
要は「信念」のことです。
神は必ず祈りを叶えてくださるという
「信念」のことなのです。
本田健さんも
「ユダヤ人大富豪の教え」の中で、
「人生を信頼することだ」と言っています。
この「信頼」とか、
上手くいくという「信念」とか、
神が助けてくれるという「信仰」があれば、
絶対安心の境地に至るのです。
私はこれを、理論(理屈)に求めました。
何かあっても、
論理的に考えて間違いないなら、
これでいいはずだと思ったのです。
瞑想や座禅などをして、
いきなり体験的に知ろうとする人もいます。
方法は人それぞれだと思うので、
自分にあった方法をとれば良いと思います。
要は自分の中に信念を創ること。
目的は、それなのですから。
人生が完璧で、
必ず上手くいくと信じている人は、
何が起ころうとも安心していられます。
そして何が起きても大丈夫だと思えると、
自由を感じるようになります。
なぜなら、特定の何かを期待しないから。
人は期待を手放すことによって、
自由になるのです。
それはちょうど、映画の
「ブラザー・サン・シスター・ムーン」で
聖フランチェスコが
すべてを投げ捨てたような気分です。
「もう充分だ。もう何も必要ではない。」
そうなったら、自由ですよね?
そして最高の自由を味わったとき、
人は最高に幸せな気分になるのです。
あなたも、その気分が味わえます。
もしまだ味わえていないとしても、
心配は要りません。
なぜなら、
あなたがこの文章を読んだということが、
もうそこに導かれている証拠だからです。
人生に起こることはすべて必然で
無駄がありません。
あなたの魂は、1秒と違うことなく、
あなたを適切な状況へと導くのです。
だから安心していて良いのです。
全知全能のあなたの魂は、
あなたのことをすべて知っていて、
けっして失敗などしません。
魂に信頼を置くとき、
すべては完璧に、良い方向へ、
導かれて行くのです。
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