知識を信念のレベルに高める方法

知識を信念のレベルに高める方法

こんにちは!

やっと体調が元に戻った
赤木です。

鼻風邪が長引いてしまいましたが、
やっと元通りに元気になりました。

と言っても、そんなにひどい症状ではなく、
普通にビールを飲んでましたけどね。

さて今日は、前回の続きとも言えますが、
知識を信念に高める方法についてです。

「神との対話」では、
私たちはすべてのことを知っている
と言っています。

この世の本質が「ひとつのもの」であり、
それが「存在するすべて」であるなら、
それは当然の帰結ですよね。

私たちは「すべて」なのですから、
その「すべて」が知らないこと、
つまりそれは「すべて以外」のことが、
あるはずがありません。

もしそれが「ある」ということになると、
「すべて」なのに「すべて以外」のことも
存在することになり、論理的に矛盾します。

ちょっと理屈っぽくて、ややこしいですか?
(^_^;)

わかりやすく言えば、
神は全知全能であり、私たち人間は、
神に似せて創られたものだから、
神と同様に全知全能だということですよ。

私などは理屈っぽいから、
後者の方が突っ込みどころ満載で、
わかりにくいんですけどね。

ともあれ、私たちは本当は、
すべてのことを知っているんです。

ただ知っていることを忘れているだけ。

そして知らないことは体験できないので、
私たちは自分を神として体験できません。

つまり、思い通りの現実を
創造できないってことになります。

そして「知る」ということには、
単に「知識」のレベルと
もっと深い「信念」のレベルがある。

その「知識」から「信念」へと
レベルアップすることで、
私たちは体験できるようになる。

というのが前回のお話でした。

そこで今回は、
その「知識」を「信念」に高めるために
どうすれば良いかという話をします。

まずよく言われるのは、瞑想ですね。

座禅でもいいし、内観でもかまいません。

要は静かにして、
自分自身と向き合うことです。

何かを期待するのではなく、
ただただ在るがままに心の目で見る。

宗教やスピリチュアルな団体は、
この瞑想を勧めています。

もちろん「神との対話」でも、
瞑想を1つの方法として勧めていますよ。

他の方法もあります。

それは、自分自身に語り続けることです。

アニメのタイガーマスクがそうですね。

「オレは虎だ!虎になるんだー!」

こうして、タイガーマスクになりました。

半分冗談ですけど、
でもこういうことなんですよ。

ポジティブなストロークを自分に与える、
と言った方がわかりやすいですかね。

「ありがとう」などの言葉を
くり返し何度も言うという方法も、
この方法の一種です。

小林正観さんや、斎藤一人さん、
五日市剛さんなどがこの考え方ですね。

「いまここ塾」の阿部敏郎さんは、
瞑想とともに、
鏡に向かって自分に語りかける方法も
勧めておられます。

「神との対話」では、
深く知りたければ人に教えよと言います。

つまり、
よく知っているから教えるのではなく、
よく知りたいから教えるのだと。

なんだかいい加減な教師みたいですよね。

でも、そうではありません。

教える者が最もよく学ぶということは、
昔から言われている通りです。

他の人より少しよく知っている人が、
他の人に教えることによって、
学ぶスピードが加速するのです。

これは私自身も体験しています。

小学校の算数の授業では、
すでに予習を済ませていた私は、
暇で暇で仕方ありませんでした。

すると先生は、
隣の人に教えてあげなさいと言うのです。

それで教えていると、
私自身の理解が深まることがわかりました。

つまり授業の中で私は、
完全な復習をしたことになるのです。

「神との対話」では、こう言います。

教えることができるのは、
それをすでに知っているからだと。

つまり教えることによって、
そのことを自分はすでに知っていると、
受け入れられるようになるのです。

また、
他人にすることは自分にすることだから、
他人に教えて理解させてあげれば、
自分の理解が深まることになるのだと。

この基本を理解すると、
必ずしも「他人」を相手にしなくても良い
ということがわかります。

つまり、
自分以外の存在があれば良いわけです。

自分以外の何かに言って聞かせれば、
他人に教えるのと同じ効果があると
言えるのです。

そこで、これを応用した2つの方法を
お教えしましょう。

1つは「鏡のワーク」の応用です。

つまり鏡に映った自分に向かって話しかけ、
自分自身を説得するのです。

鏡に映っているのは自分自身ですが、
「鏡のワーク」では、
第三者になったつもりで話しかけます。

ですから、
自分と自分以外が存在することになります。

自分に向かって、第三者のつもりで、
この「知識」を言って聞かせるのです。

もう1つは、
植物や動物などへの語りかけです。

植物や動物も、もちろん鉱物もですけど、
「存在のすべて」でもあるわけです。

「存在のすべて」であれば、
そこに意識があるのも当然ですよね。

ですから動物は人間の感情に反応するし、
植物だってそうなのです。

「奇跡のリンゴ」の映画を観ると、
やっと花をつけた木々の中で、
1本だけ花をつけなかった木がありました。

それで子どもが理由を尋ねると、
木村さんはこう答えました。

「他の人に見られるのが恥ずかしくて、
ここだけは声をかけてやらなかったんだ。」

植物は、人の声掛けに反応します。

私もそれを実感しています。

その証拠に、
声掛けをするようになってから、
うちのベランダの観葉植物は繁茂して、
今、すごいことになってますから。

肥料なんてまったくやってません。

ただ水と、愛情たっぷりの
言葉をかけてあげているだけなのです。

このように、自分が「知識」で得たことを、
確信を持っているように他者に話すことで、
その「知識」が「信念」になります。

ある意味でそれは、
自分で自分を洗脳するようなものです。

でもそれは、自分が意図したことです。

自分が意図したように洗脳されるなら、
何も問題がないと思います。

そうやって信念のレベルになると、
現実が変わってきます。

特異体験をすることもあるかもしれません。

でもそういう体験を期待しないことです。

もし期待すれば、
現実がそうではないという信念を
高めることになるからです。

期待とは、「今はそうなっていない」
という思いが支える思考ですから。

そしてその思考は、
その現実を押しやってしまうでしょう。

だから結果を期待せずに、
ただそういう自分でありたいから
という理由でそうするのです。

それが、
知識を信念に変えるコツだと思います。

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