幸せってなんだろう?

幸せってなんだろう?

こんにちは!

久しぶりに満員電車を体験した
赤木です。

昨日、自宅近くで、
反政府グループの集会がありました。

バンコクの数ヶ所で行われた集会には、
総勢で12万人とも20万人とも言われる
多くの人が集まったそうです。

18時くらいで散会になったのですが、
その帰宅ラッシュの時間に、
BTS(高架鉄道)に乗ってしまったのです。

普段なら絶対に、
他人を押して乗り込むことがないタイ人も、
さすがに押し込んできましたね。

まあ、とは言え、
終電間際の山手線ほど混んではいません。

次の駅で降りる時、
入口付近の人が降りずに頑張ってましたが、
満員電車に慣れてない人なのでしょうね。

タイも徐々に、
日本のようになっていくのでしょう。

さて今回は、
幸せというものについてです。

「幸せってなんですか?」

そう質問すると、様々な答が返ってきます。

「お金持ちになること」
「夢が叶うこと」
「家族が健康で暮らせること」
「恋人ができること」

でも、これらがほんとうの意味で
「幸せ」とは無関係だということは
多くの人がわかっていることです。

お金持ちがみんな幸せかというと、
必ずしもそうではありません。

恋人ができたら幸せかというと、
必ずしもそうではありません。

ただなんとなく、
そういった夢が叶うと、
幸せな気分になれそうだと
想像しているだけなのです。

でも実際は、
夢が叶った途端に色あせていきます。

夢が叶ったことによって、
様々な問題が生じることもあるでしょう。

ですから、そういった夢が叶うことは、
幸せになることではないのです。

では、幸せって何かということですが、
クロフネカンパニーの中村文昭さんが、
本の中で面白いことを言っていました。

「幸せとは何か?と、聞かれれば、
それは「不安のないこと」ではないかと
思っています。」(p.76)

[僕たちの”夢のつかみ方”
をすべて語ろう!(学研)]より

これを読んで、なるほどと思いました。

私たちは様々な感情を感じますが、
喜びの感情だけが、幸せではないのです。

時には悲しみもあり、怒りもある。

それでも、幸せでいられるのです。

それはどうしてかと言うと、
そこに不安がないからです。

たとえば、悲劇的な小説を読みました。

主人公の切ない胸の内に共感し、
涙さえ流すかもしれません。

そのとき、あなたは不幸でしょうか?

悲しい感情を味わいながら、
不幸でしょうか?

おそらく、そうではないでしょう。

悲しみながらも、幸せでいられます。

なぜなら、その小説の物語は、
現実ではないとわかっているからです。

つまり、自分に何か危害が加えられるという
不安がないからです。

不安がなければ、喜びの感情だけでなく、
悲しみも怒りも、時にはイライラさえも、
楽しむことができます。

そう、楽しいのです。

楽しんでいる限り、人は幸せなのです。

では、楽しむためには、
どうすれば良いのでしょうか?

誰かが、あるいは何かが、
楽しませてくれるのを待つのでしょうか?

もちろん、それも1つの方法です。

しかし、それでは自分で
コントロールすることができません。

自分でコントロールするためには、
何か好きなことを一所懸命にやることです。

子どもを見ていると、
どんなことでも遊びにしています。

それを真剣にやっています。

だから、時間を忘れるほど楽しいのです。

嫌いな勉強だって、
友だちと競争してゲームにしたら、
楽しめたなんて経験はありませんか?

仕事も、嫌々やらされていたら、
楽しめなくても当然です。

逆に求められる前に自発的にやれば、
楽しくなるのです。

親が子どもに「宿題はもう済んだの?」と
聞くことがよくあります。

そのとき、子どもはこう答えます。

「ちぇっ、せっかく今からやろうと
思ってたのに、そんなこと言うから、
やる気がなくなっちゃったよ。」

私も、よくそんな気持ちになりました。

自発的にやれば楽しめるのです。

でもそれを指図されると、
やらされている気分になって、
楽しめなくなるのです。

このように考えてみると、
幸せとは、「楽しむこと」だと言えます。

そして、楽しむためには
不安をなくすことと、
自発的に真剣にやることが重要です。

不安をなくす方法ですが、
これはいつも言うことですけど、
それが幻想だと見抜くことです。

不安は現実ではありません。

過去の記憶から来る特定の事象を、
未来に適用しようとしているだけです。

だから、その不安をじっと見つめ、
いま、ここに生きるなら、不安は消えます。

自発的にやるには、
人はそもそも自由だということを
知る必要があります。

すべてを自分で決めているのです。

自由は権利ではなく、人の本質なのです。

自由でやりたいことをやるなら、
そこに没頭しないわけがありません。

没頭すれば、楽しいのです。

しかし、
なかなかやりたいことが見つからない
という人は大勢います。

私もそうでした。

そういう人に対して、
やりたいことを見つける方法があります。

それは、
目の前のことを真剣にやることです。

選り好みするのではなく、
与えられた環境で、与えられたことを、
真剣にやるのです。

そうして、いま、ここを懸命に生きるなら、
自ずと生きがいとか、やりたいことが
見つかるようになっています。

逆説的な感じもしますが、
幸せ探しが上手くいかないのと同じで、
やりたいこと探しも上手くはいきません。

いま、ここに、懸命に生きる。

それが幸せになるための、
もっとも手軽な方法なのです。

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