重要なことは子どもに伝える(18禁)

重要なことは子どもに伝える(18禁)

こんにちは!

昨夜はたけのこカレーを食べた
赤木です。

ブログにも書きましたが、
広島県竹原市の地カレーです。

http://ameblo.jp/aka-9999

名前からして竹が多そうな気はしますが、
名産だったとは知りませんでした。

世の中けっこう、
知らないことだらけですね。

さて今日のテーマは、
重要なことを子どもに伝える
という話題です。

久々の18禁ネタになってますので、
注意してご覧くださいね。

昨日、喜多川泰さんの本を読みました。

Kindle版の電子書籍ですが、
「君と会えたから」という小説です。

ちょっとネタバレになってしまいますが、
お父さんが子どものために、
伝えたいことを書き記しておく、
という話になっています。

このパターンは、喜多川さんの小説では、
「上京物語」にも出てきます。

面と向かって話すのは照れくさい。

あるいは、
タイミング良く話せないかもしれないし、
話してもすぐ忘れてしまうかもしれない。

だから、いつでも読めるように、
何度でも読み返せるように、
文章にして残すことを
喜多川さんは勧めます。

私も、もし子どもができたなら、
いつかその子に伝えるために、
話しておきたいことを書きためたいな。

小説を読んで、
そんな気持ちになりました。

なお、この本の紹介は、
まだブログに掲載していません。

明日付で掲載する予定ですので、
またそちらもご覧くださいね。

では、私が子どもに伝えるとしたら、
どんなことを伝えるでしょうか?

そう考えたとき、
これは外せないというものがあります。

それが性に関する話です。

多くの人は、
性は「恥ずかしいもの」と考えて、
口を閉ざしてきました。

「重要だ」という認識はあったでしょう。

でも、「恥ずかしさ」の方が
上回っていたのだと思います。

あるいは、
「いやらしい」という思いです。

本来は重要なことなのに、
「恥ずかしい」とか「いやらしい」という
否定的な価値観が捨てきれないため、
子どもにきちんと話せなかったのです。

「そんなこと言わなくても、
子どもはどこかで学ぶから大丈夫だよ。」

そう、多くの人は考えて、
自分から伝えるという責任を放棄しました。

その「どこか」が、
どんな風に説明しているかさえ
調べることをしません。

ただ、
自分が今何とかなっているんだから、
子どもも何とかなると考えるのです。

そのくせ「勉強しろ」とか言うのは、
おそらく性の正しい知識より、
頭が良くなる方が重要だと
考えたのでしょうね。

性とはすなわち生きることです。

まず生きることが重要だと私は考えますが、
多くの人にとっては生きることより、
知識を増やすことが重要なのでしょう。

そうやってスポイルされた子どもたちは、
間違った情報からセックスを学びます。

いつも言うことですけど、
たとえばAV(アダルトビデオ)です。

ただ性欲をかきたてるためだけに
作られた虚構のドラマを、
真実であるかのように錯覚するのです。

電車の中で痴漢すると、
相手の女性がそのうち
感じてくるのではないか。

大半は嫌がったとしても、
嫌がりながらも実は内心、
喜んでいるのではないか。

顔射(※)されると女性は喜ぶもの。

いや本当に自分のことを好きなら、
顔射を喜んで受け入れてくれるはず。

そんな倒錯した考えを、
心のどこかに抱くようになるのです。

※顔射:女性の顔面に射精すること

セックスに関してだけではありません。

マスターベーションのやり方とか、
包茎の処置の仕方だって、
子どもには正しい知識がありません。

包茎の正しい処置って知ってました?

学校でさえ教えてくれないんですよ。

そのためにどれだけの子どもが、
医者に行かなければならないはめに
なったことか。

それもこれも、
「恥ずかしい」という価値観を
植え付けられているため、
誰にも相談できなかったからです。

マスターベーションはもっと深刻です。

セックスレスの原因の1つに
なっているそうですからね。

たまたま面白いブログを見つけました。

https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20130319-OYTEW53987/

専門医が書いているようなので、
間違いない情報でしょう。

「床オナ」というのがあるそうですね。

ペニスを床にこすりつけるようにして
行うオナニー。

略して「床オナ」だそうです。

ここには詳しく書かれていませんが、
おそらく刺激が強すぎるからでしょう。

マスターベーションで強くしごいていると、
セックスのときに同じ感覚が得られなくて、
射精のタイミングがずれるという話は
聞いたことがあります。

こんなことも、学校では教えてくれません。

避妊にしてもそうです。

避妊器具にコンドームがある
ということは教えるようですが、
コンドームをどうやって装着するのか
までは教えません。

なぜかと言うと、
それを教えることは子どもに、
セックスを推奨することになるからだとか。

裏を返せば、
子どもにはセックスをさせたくない、
というのが本音なのです。

子育ての責任を終えて、
手が離れてから勝手にやりなさい、
ということでしょう。

少なくとも、
自分に責任が及ぶうちはやってくれるなと。

つまりそれは、
運転の仕方も教えず、
路上教習もせずに、いきなり
「あとは自分で勝手に練習して運転してね」
と言うようなもの。

それを、
もっとも重要な生きるという問題において、
私たち大人が子どもたちに対して
やっているのです。

私はこれを、
責任の放棄だと思うのです。

直接言いづらかったら、
手紙にして渡しませんか?

いつ話したら良いのか
タイミングがわからなくても、
この方法なら子どもは
必要とするときに見ることができます。

こと詳細に書きづらいのなら、
参考にしてほしい書籍や、
WEBサイトを紹介しませんか?

「性教育をやって性欲を助長すると、
性犯罪が増えるんじゃないか?」

そう思われる方もおられるかもしれません。

ですが、私は違うと思います。

性欲を刺激されるから、
犯罪行為をするのではなく、
執着心があるから自制できないのです。

誰もみな、
好んで他人を傷つけたい
というわけではありません。

でも心に満たされないものがあって、
そこに執着しているから、
どうしてもそれを必要と感じます。

どうしても必要だから、
そのために他人を傷つけても仕方ない
という理屈をつけるのです。

その執着心を捨てない限り、
性欲を刺激しないなどと言うのは、
対処療法に過ぎません。

だからお坊さんも破戒してでも、
性行為をしてしまうのでしょう。

執着心を捨てられなかったからです。

執着心をなくしても、
性欲はなくなりません。

それは生きる上での重要な欲求だからです。

異なる者同士がひとつになって、
溶け合いたいという欲求。

それが性欲だからです。

もし執着心がなければ、
自分の思いだけを満足させようとして、
暴走することがなくなります。

目的が相手との一体化にあるのですから、
相手がその気にならない限り、
その目的は達成できないからです。

射精すれば終わりみたいな、
貧相なセックスをしたいとは
思わなくなるでしょう。

セックスを拒否するのは
妻として失格だなどという、
バカげた発想はなくなるはずです。

その段階になれば、
相手をお金で買うという
買春もなくなります。

それが「悪いこと」だから
自制するのではありません。

それでは「満足できない」から、
やりたくなくなるのです。

そういうセックスでは満足できないし、
そういう体験をすることが
「もったいない」と感じるからです。

そこに至るまでは、
人類が進歩する段階において、
何度も失敗する必要があるでしょう。

失敗しなければならないときは、
堂々と失敗しなければならないのです。

人は失敗と呼ばれる体験によってのみ、
学ぶことができるからです。

ですから、失敗させないよう
コントロールするのではなく、
むしろ堂々と失敗させることです。

たとえ失敗しても見捨てたりはしないから、
あなたはあなたの思い通りに生きなさい。

そう言って、
勇気づけてあげることだと思います。

ただそのとき、
必要と思われる知識を、
事前に与えておくことが大切です。

それがあるから、
失敗という体験が学びになるのですから。

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