不安を捨てれば自分らしく生きられます

不安を捨てれば自分らしく生きられます

こんにちは!

皮から手作りの水餃子を作って食べた
赤木 篤(あかき・あつし)です。

私が子どもの頃、我が家の餃子はいつも
手作り水餃子でした。

父方の祖父母の家族が満州帰りなので、
おそらく満州で覚えたものでしょう。

父は、皮を丸く伸ばすのが得意で、
私たち子どもは包む役目です。

不格好な餃子も、口に入れば同じ味。

自分が作った餃子に愛着を覚えたものです。

今度帰省したとき、
久しぶりに家族で餃子を作ろうと思い、
予行演習したのでした。(^_^)

さて、今日は不安についてです。

「神との対話」シリーズを読んでいて、
私はあるフレーズに衝撃を覚えました。

それは、「必要性というものはない」
という言葉です。

たしかに多くのものは、
必要ではないかもしれません。

たとえば、
私はカレーが大好きですが、
別に必要なわけではありません。

単にカレーが好きだというだけで、
それは「好み」に過ぎないのです。

毎日食べても飽きないくらい好きだけど、
別にラーメンでもいいよね。

その程度のものなのです。

ですから、特定の異性に執着する考えは、
捨てられるだろうなと感じました。

実際、何度もフラれているので、
フラれることには慣れましたから。(笑)

しかし、水や空気など、
どうしても必要なものがあるのではないか。

そういうふうに思いました。

けれども神は、
そんな私の不安にも動じることなく、
「必要なものは何もない」
と言い切るのです。(^_^;)

「でも、でも・・・」

なかなか執着を捨てられない私は、
何度も何度も読んでは考えましたよ。

しかし、
本当にすべてのものが必要でないなら、
不安を感じる必要もなくなります。

だってどうなったって構わないのですから。

単にカレーが食べたかったけど
ラーメンを出されただけのこと。

人生って、本当にその程度のこと?

本当に必要なものは何もないのでしょうか?

理屈で正しいことには従うというのが
私の特徴です。

自分では長所だと思っていますけどね。

その私があれこれ考えた結果、
やはり神の言う通りだと思いましたよ。

そもそも、
何の条件もなしに存在しているのが神です。

神と言うとわかりづらいかもしれませんが、
いつも言うように、
宇宙霊でも空(くう)でもエネルギーでも、
なんでもいいのです。

第一原因という言い方もありますね。

つまり、
この世に存在するありとあらゆるものの
最初の原因です。

そういうものは、
存在するのに何かが必要でしょうか?

うーん、
どう考えても必要じゃないでしょうね。

だって、「あってあるもの」というのが、
神の定義ですから。

科学的に考えても、
第一原因というものを考えないと、
この世の存在を説明できません。

ビッグバンと呼んでいますが、
それ以前は、
時空さえ存在していなかったのです。

「でも、私はそのとき存在していなかった。
個人の命と全体の命は、別のものでしょう。
だから自分の命が失われることは怖いし、
それに執着しても当然でしょう。」

神は、
存在するのは「ひとつのもの」であって、
これまでもこれからも、
分離することはあり得ないと言います。

しかし、お言葉を返すようですが、
そういう実感はないですよね。

観念的には理解できるものの、
実感できないのです。

けれど先程も書いたように、
理屈で正しいことは正しいと思うのが、
私の良いところです。

たとえすぐには実感できないとしても、
「そうに違いないだろうなあ」と
考えてみることはできます。

そうしているうちに、
何度かそれを実感することが
起こったのです。

それは突然にやってきます。

何かを考えているとき、ふと、
その実感が襲ってきます。

ちょっと変な言い回しですが、
でもそう表現するのがピッタリです。

「あぁー、そうだったんだー。」

腑に落ちるというか、
大いなる安心感に包まれるというか、
そういう感じがするのです。

でも最近、
たとえそういう体験がなくても、
なるほどと思える考え方に出合いました。

それが、
「あの世に聞いた、この世の仕組み」
という本に書かれていた話です。

http://4awasejsn.seesaa.net/article/373718213.html

私たちが
全体から分離していると考えるのは、
生まれてきて、いつかは死ぬと
考えているからです。

死後の世界はわからないのですから、
恐怖を感じる人もいます。

事実私も、
子どもの頃に自分の死を考えて、
布団の中で泣いたこともありました。

しかし同書では、
そもそも生まれていないのだから
死ぬことはあり得ないと言います。

一瞬、「えっ?」と思いましたよ。

いや、でも間違いなく
生まれてきたでしょう???

それを否定するとは、
いったいどういうこと?

そう感じて当然ですよね。

でもその本で守護霊は言います。

「じゃあ、いつ生まれたの?」

出産してオギャーと泣いた瞬間?

いやでも、
胎児の時にすでに動いているよね。

じゃあ胎児になったとき?

胎児っていつから?

目がわかるようになったとき?

それとも細胞分裂を◯◯回行った瞬間?

精子と卵子が受精した瞬間?

この話は素晴らしいと思いました。

たしかに以前、
「魂はいつ宿るのか?」
という話題がありました。

でも、結論が出ないんですよね。

だって、もし出産後としなければ、
堕胎は殺人ではありませんか。

出産した赤ちゃんを殺すのは殺人で、
堕胎が殺人じゃないって、
理屈からするとおかしいでしょ?

これは誰かを責めているのではなく、
理屈を考えているだけですからね。

だから、いつ魂が宿って
人間になるのかは、
とても重要なのです。

でも同書では、
そもそも生まれていないと
守護霊が言います。

それは、
生命とはずっと続いているものであって、
途切れるものではないからだと。

上記のように考えることで、
私たちは偏在する生命という
「ひとつのもの」が、
姿を変えただけのことだとわかります。

私たちが「死」と呼んでいるものも、
単に姿を変えることに過ぎないのです。

つまり、
いくら死んだように見えても、
本当は死んでいないのです。

単に姿を変えただけで、
生命は死ぬことはないのです。

同書では、
個別の生命(=個々人)を説明するのに、
風船の例を使っています。

これも面白い例えですね。

風船の一部を引っ張って、
伸びたところを捻って絞ると、
子どもの風船ができます。

子どもの風船は
親の風船とは別のもののように見えますが、
捻った部分を元に戻すと、
親の風船に戻ります。

これが、
人がこの世に生まれてきて、
死んでいく様子なのだと言うのです。

風船は、形を変えただけであって、
増えも減りもしていません。

まさにエネルギー保存の法則が
成り立っています。

般若心経にも
「不増不減是故空中」
(この故に空の中では
増えることも減ることもない)
と書かれている通りです。

このように、
私たち生命の存在を脅かすものは何もなく、
したがって、
生存のために必要なものは何もない、
ということになります。

たしかに見た目には、
最悪死ぬだけかもしれませんが、
それだけのことです。

人として生まれた以上、
いつかは死ぬことになっています。

人は死亡率100%だなんて、
また面白い言い方をする人もいますよね。

その変化(=死)は、
誰にも必ず起こることです。

だとしたら、
問題なのは死なないことではなく、
どう生きるかではないでしょうか?

死ぬかどうかは
心配することではないのです。

注意すべきことであっても、
不安に感じることではないのです。

私たちが自分らしく生きるのを
妨げているのは、
自分の心の中にある不安です。

こんなことやって、
損したらどうしよう、
失敗したらどうしよう、
バカにされたらどうしよう・・・。

そういった不安から、
本当はやってみたいこと、
やるのが自分らしいと感じていることに、
ブレーキをかけているのです。

そんな生き方をして楽しいでしょうか?

だって、どうせいつか死ぬのですよ。

やりたいことをやって死ぬか、
やらずに死ぬか、
その違いしかないのです。

将来がどうなるかなど、
誰にもわかりません。

人生は不確定なのです。

そうでなければ、面白くないでしょう?

筋書きがわかっているドラマには、
誰も感動しないのです。

やってみたけどダメだった。

いいじゃないですか。

そこからスタートです。

常に、今がスタートのときです。

その体験は無駄にはなりませんよ。

喜多川泰さんの
「賢者の書」を読みましたが、
そこにも書かれてますよね。

http://4awasejsn.seesaa.net/article/376192447.html

人生は、パズルのピースを
集めているようなもの。

そこには失敗も成功もなく、
ただ1つのピースを
手に入れただけなのです。

出来事はコントロールできなくても、
自分の人生は自分が創っています。

自分が
どういうビジョンを描いたかによって、
必要なピースが与えられ、
それを集めることで
パズルを完成させるのです。

だから、不安を抱く必要はありません。

不安は幻想です。

この世でゲームをするために
編み出された幻想です。

幻想を幻想と見抜くなら、
人生をゲームとして楽しめるでしょう。

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