すべての責任を引き受ける
- 2013.10.30
- 2013年
こんにちは!
なんと初セミナーをすることが決まりそうな
赤木です。
犬も歩けば棒に当たると言いますが、
幸か不幸か、ひょんなことから
セミナーをすることになりそうです。
(あ、良いことですよ。間違いなく。)
来年の1月13日に東京で行うこと以外、
まだ何も決まっていません。
詳細が決まりましたら、
改めてお知らせしますね。
さて今日は、
すべての責任を引き受ける
ということについてです。
「原因と結果の法則」とか
「引き寄せの法則」と呼ばれるものは、
すべての出来事の原因が自分の思考にある
と言っています。
これは万有引力の法則と同じくらい
確実に適用される法則で、
例外はないとも言います。
「なるほど、なるほど。
よし、考えることに注意しよう。」
そう素直に思う人は多いと思いますが、
ちょっと待ったー!!!
本当にそう信じてますか?
本当に?少しも疑わずに?
そうなのです。
素直にそう思う人でも、
実は本気で信じていないことが多いのです。
たとえば福島の原発事故です。
「東電の対応が悪い」と
批判する人はけっこういますよね。
しかも、退陣した経営トップが
多額の退職金を得たとか、
海外に引っ越したなどの情報を得ると、
怒り狂う人もいるようです。
でも、考えてみてください。
さっき、何て言いましたか?
出来事の原因は、
自分の思考にあると言いませんでしたか?
もしそうだとすれば、
原発事故の原因も、
東電の対応が悪い原因も、
すべて自分の思考に原因があるのです。
「いや、それは違うでしょ。
だってそんなこと考えてなかったし。」
そう反論したい気持ちはわかります。
でもそうすると、
「原因と結果の法則」そのものを
否定することになりますよ。
どっちをとるのですか?
こういうことになるのは、
「原因と結果の法則」を正しく理解せず、
雰囲気だけで信じていたからです。
だから、いざ自分に
不都合な結果を突きつけられると、
迷ってしまうのです。
じゃあ、
「原因と結果の法則」はウソだ
と言い切れるかというと、
やはりまだ捨てがたいものがある。
そのため、
法則は限定的に適用されるのではと、
自分の都合で捻じ曲げようとします。
そうやって都合の良い所だけを、
つまみ食いするように信じるので、
法則を生かせないのです。
まあ偉そうに言っていますが、
私自身がその問題で悩んだのですよ。
悩んだ末に、私は、
やはり「原因と結果の法則」は正しい
という結論を出したのです。
「じゃあ、原発事故の責任は自分にあると
認めるのですか?」
この問には、「広い意味ではそうです」
と答えましょう。
広い意味とは何かということですが、
それは私の顕在意識が意図しないところで、
知らず知らずに原因となる思考をしたと
認めるということです。
故意に事故を呼び起こした
というわけではありません。
ですが、私の中のどこかで、
この事故を引き寄せる思考があった。
そう認めようと思うのです。
同じように、誰かがミスをしたとか、
ひどいことをしたという出来事も、
私がその出来事に出会ったのですから、
私の思考が呼び寄せたことなのです。
なぜそんなふうに思えるのか、
不思議に感じられるかもしれませんね。
1つには、この法則に間違いがないという
理論的な確信があるからです。
もし神が人間を創ったとするなら、
そうに違いないと思えるからです。
この理論的な確信については、
この世の仕組みを1から話さないと
理解できないかもしれません。
ですが、ここですべては語れないので、
ブログを読んでいただけると助かります。
もう1つは、自分というものの枠を
広げてみたのです。
私たちの本質は「ひとつのもの」です。
実際に存在するのは、
「ひとつのもの」しかないのです。
それを神と呼ぼうが生命と呼ぼうが、
宇宙霊でもエネルギーでも、
なんでもかまいませんよ。
ともかく、「ひとつのもの」しか
実在していないのです。
ですから、狭義の「私」、
つまり普通に「私」と思っている「私」は、
その「ひとつのもの」です。
また同時に、狭義の「誰か」もまた
「ひとつのもの」です。
数学的に言えば、
A(私)=C(ひとつのもの)であり、
B(誰か)=C(ひとつのもの)ですから、
A(私)=B(誰か)が成り立ちます。
「いや、私は「ひとつのもの」の
一部にすぎないでしょ?」
という疑問があるとしたら、
「ひとつのもの」を理解してない証拠です。
「ひとつのもの」は分割されません。
だから「ひとつのもの」なのですよ。
分割したかのように見せることはできます。
でも、分割はできないのです。
したがって、「私」という存在は、
「ひとつのもの」の
一部のように見えるけれど、
実は「ひとつのもの」のすべてでもある
ということになります。
この部分については、
時空が存在する相対的世界の思考では、
完全に理解することが不可能です。
ですから、
もっと大きくイメージしてみてください。
たとえば、
自分の前世がリンカーン大統領だった
という人は、多数います。
誰かがウソをついているのでしょうか?
その可能性もありますが、
そうでない可能性もあります。
つまり、前世でAさんだった人が、
現世ではBさんでもCさんでもある
ということです。
同じ時間に複数の場所に存在することは、
相対的な世界では不可能です。
けれども、時空のない絶対的な世界では、
当然、可能ですよね?
もし、「私」が「誰か」であるなら、
その「誰か」が考えたことが原因で、
そういう事故につながったのかもしれません。
「じゃあどうしようもないでしょ。
他人はコントロールできないんでしょう?」
たしかに、そうです。
他人を直接的に
コントロールすることはできません。
けれども、間接的には可能です。
なぜなら、
他人などという存在はないからです。
実在するのは「ひとつのもの」だけで、
それは私の意識からすれば、
「私」だけなのです。
つまり、私が遭遇する世界においては、
私がすべてなのです。
思考とはエネルギーです。
物質もエネルギーです。
この世はすべて、エネルギーなのです。
私が何かを考えると、
そのエネルギーは波動として伝わります。
その波動が到達したどこかで、
似たようなエネルギーと出会うと
共振します。
そして、そういう種類の波動が増えると、
エネルギー全体が共振するようになります。
こうやって、世の中は変わっていくのです。
ですから直接的に、
他人を変える必要性はありません。
そうではなく、自分を変えるのです。
自分に責任があると感じた人が、
自分を変えるのです。
自分が好ましいと感じる
波動を出すようにすれば良いのです。
するとその波動に共感する人が、
次々とその人自身を変えていきます。
ですから、
はじめはいつも自分からなのです。
ホ・オポノポノでも、出来事は
ウニヒピリ(潜在意識)が見せてくれる
記憶だと言います。
ですから、その出来事を否定したり、
批判や非難したりすると、
また新たな記憶を創るだけだと言います。
そんなことをせず、
その記憶を見せてくれたことに感謝して、
クリーニングすることだと言うのです。
クリーニングの方法には
いろいろあるようですが、
有名なのは4つの言葉を言うことです。
「ありがとう」
「愛してます」
「ごめんなさい」
「許してください」
ブログにも書きましたが、
私はベランダの観葉植物に対して、
知らず知らずにこの言葉を使っていました。
すると、観葉植物たちが
とても元気になったのです。
信じられないくらいに成長しています。
記憶がクリーニングされたから
とも言えますし、
私の波動が伝わったからとも言えます。
自分が遭遇するすべての出来事の原因は
自分の思考にあります。
そうやって自分が責任を負うことで、
初めて現実を変える力を手にするのです。
「あいつが悪い」と
他者を批判している限り、
それを変える力は自分にはありません。
だって原因は他者だという信念を、
宇宙に発信しているのですから。
宇宙はこう答えるでしょう。
「わかった、原因はあなたじゃない。
だから、あなたには変えられない。」
私は、すべての原因を引き受けることに
決めました。
だって、私はもっともっと
世の中を良くしていきたいからです。
だから、他者を批判することや、
非難することはやめます。
そういう暇があったら、
もっと楽しいことを創り出すよう
自分の心を使いたいのです。
ときどき、
ついこの世が幻想だということを忘れて、
怒ってしまうこともありますが、
そういう時は反省して、
本来の自分に戻ろうと思うのです。
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