ルールに従うのは何のため?
- 2013.09.13
- 2013年
こんにちは!
バリ島の兄貴こと丸尾孝俊さんに感化され、
ベランダの観葉植物に名前をつけた
赤木篤(あかき・あつし)です。
タイ語でトンマリと呼ぶからマリちゃん。
そんな感じで、
5つの鉢植えに名前をつけちゃいました。
マリちゃん、サリーちゃん、シンゴちゃん、
アグネスちゃん、ナーンちゃんです。
一応、シンゴちゃんはオカマということで。
いかにもタイらしいでしょ?
朝に晩に名前を呼びながら、
かわいがっています。(笑)
さて、今日はルールについてです。
今日のニュースで、
刺青のために温泉施設に入れなかった
マオリ族の女性のことが
報じられていました。
ニュージーランドの先住民族の方で、
民族的な伝統で、
顔に刺青があったのだとか。
それに対してその温泉施設では、
刺青のある人の入場は禁止だとして、
入浴を断ったのだそうです。
女性側は、
「反社会的な入れ墨とは異なる
伝統文化であり、差別ではないか」
と抗議したのだとか。
しかし温泉施設側は、
「入れ墨に威圧感や恐怖感を
覚える人がいる」以上、
「入れ墨が見えれば一律で断っている」
と説明したとか。
菅義偉官房長官は、
「外国のさまざまな文化に対して敬意を払い
理解を進めていくことが大事だ。
外国人を迎えるため、
しっかりと対応策を考える必要がある」
と述べたそうです。
2020年に東京オリンピックがあり、
これから多くの外国人を
受け入れていくことになりますから、
当然の発言だと思いました。
しかしその一方で、
「郷に入っては郷に従え」と言って、
女性側を批判する人もいます。
入れ墨のある人は
公共の入浴施設には入れないという
ルールがあるのだから、
それに従うのが当然だと言うわけです。
さて、みなさんは、 どう思いますか?
私は、どちらの考えも
間違ってはいないと思います。
いつも言うように、
価値観は人それぞれですから。
その人の価値観にしたがえば、
その人の行動は正しいのです。
そもそもルールというのは、
人のためにあります。
つまり、人が幸せになるために
あるのがルールです。
しかし一方で、ルールというのは
厳密に決める必要があります。
たとえば、
20歳未満の飲酒や喫煙が禁止されてますが、
どうしてあと1日で20歳という人でも
ダメなのでしょう?
それは、
厳密に決めなければならないという
ルールの性質のためです。
このルールの趣旨が、
若者の健康被害を防ぐためだとした場合、
その1日の差はまったく意味がありません。
けれどもルールは、
どこかで線を引かなければならないのです。
このように2つの性質があるために、
こういう問題が起こると思うのです。
たとえば先のニュースの件ですが、
公共施設で刺青を入れた人の入場を
禁止するというルールも、
その趣旨は、
ヤクザ者などが一般客を
怖がらせないようにするためです。
明らかに脅したりすれば、
脅迫罪などが適用できるでしょうけど、
刺青を見せつける行為だけでは
取り締まれません。
つまり、
既存のルールで保護できない一般の人の
幸せのために、このルールがあるのです。
けれども今回は、
明らかにヤクザ者ではありません。
誰がどう見ても、
女性の顔の刺青を見て怖がらないでしょう。
でもルールは、
どこかで厳密に線を引かなければならない。
ですから、
刺青が見えたらダメとしているのです。
ルールを厳格に守る価値観の人からすれば、
公共の利益のために、
多少不利益を被る人がいても仕方ない、
と考えるでしょう。
だって、どこかで線を
引かなければならないのですから。
一方、
ルールの趣旨を尊重する立場なら、
特別扱いすべきだと考えるでしょうね。
ルールはルールとして、
運用でうまくやれと言うことです。
しかしそういうやり方だと、
公平さはなくなるでしょう。
だって、
人の主観で判断するわけですから。
このように、
どちらが正しいという問題ではなく、
どちらにも一理あるのです。
その上で、私の考えを申し上げます。
今回の件に関しては、
刺青を入れた人の入場を禁止する
ルールそのものを廃止すべきです。
理由は、
こういうルールは国際的には
認められないからです。
刺青=ヤクザというのは、
日本だけの価値観だからですよ。
外国からの観光客を招きたいという
国家的な方針に照らしても、
外国の人を差別しない価値観を
広める意味でも、
刺青の差別はやめるべきです。
私自身、
日本で暮らしているときは、
刺青に対して偏見がありました。
刺青を入れるような人は、
ろくでもない人だと思ってました。
広島で暮らしていたときは
銭湯によく行きましたが、
早い時間や深夜には、
そういう人と遭遇しましたよ。
目を合わせないように、
近寄らないようにと、
気をつけたものです。
ですから、
刺青を入れた人を怖れる人の気持ちは
よくわかります。
でもタイに来て、
価値観が変わりました。
だってあまりに多くの人が、
普通に刺青を入れているのですから。
背中一面に刺青を入れている人も
たまにいます。
もちろん、ヤクザ者じゃありませんよ。
ファッションで入れる人もいるし、
アザ隠しで入れる人もいます。
あるいは、幸運を願ったり、
魔除けとして入れる人もいますね。
お坊さんにも、
刺青を入れている人は多いです。
そういうのを見ていると、
刺青が特別なこととは思えなくなるのです。
要は慣れの問題だったのです。
慣れてなくて、
他に思いつかないものだから、
刺青=ヤクザ者という思考回路が
できてしまうのですね。
本来はまったく関係がないのに。
では、
どうすれば良いかということですが、
もっともっと交流したらいいのです。
日本を訪れる外国人が増えれば、
外国へ行く日本人が増えれば、
私と同じように価値観も変わるでしょう。
そうすれば、
刺青を見ただけで怖がるという反応を
しなくてすむようになるでしょう。
それに、
ヤクザ者だって同じ人なのですよ。
どうしてヤクザ者だというだけで、
自由を制限されなくては
ならないのでしょう?
そうやって見えないようにして、
いくら隔離しようとしても、
彼らの存在そのものを
消すことはできません。
臭いものに蓋をしても、
問題は解決しないのです。
排斥、除外、隔離、・・・
そういったやり方では
問題が解決しないということは、
歴史に示されているではありませんか。
問題を解決するには、
まず受け容れなければなりません。
受け容れない限り、
それをどうすることもできないのです。
そういう意味でも、
ただ刺青があるというだけで
自由を制限するルールは、
やめた方がいいなあと思います。
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