「艱難汝を玉にす」という生き方
- 2013.06.05
- 2013年
こんにちは!
本田健さんのセミナーに参加することにした
赤木です。
詳細はブログに書きましたので、
こちらをご覧ください。
http://4awasejsn.seesaa.net/article/364703544.html
先月、帰省で一時帰国したばかりですが、
また日本へ行きます。
なぜだかわかりませんが、
どうしても本田健さんに
会いたくなったんです。
さて、先日のメルマガ「SJ通信」で、
私の会社の大変な状況について
お話しました。
今回もその続きです。
2年くらい前に売上が激減し、
その期は赤字になって、
社員のボーナスも払えませんでした。
それから、少しずつ売上が伸びたものの、
今度は社員がどんどん辞めていきます。
仕事はあるのに、仕事がとれない。
人が原資のIT業界ですから、
技術者がいないということは、
売上を伸ばす余地がないのです。
したがって利益も出せず、
会社の業績は低空飛行が続いています。
そういう状況では、
思い切って社員に良くしてあげることも、
定着率を上げるために重要です。
そこで昨年は、少し遅くなりましたが、
無理して社員に1ヶ月分のボーナスを
支給しました。
そのために私は、給料を大幅にカットして、
その穴埋めをしたのです。
それでも、
社員が辞めていく流れが止まりません。
4月の昇給時には、
大幅な昇給を行いました。
その穴埋めのため、
私と上司の給料を大幅にカットしました。
これで止まったかと思ったら、
まだ辞めていきます。
本当にもう、がっかりですよ。
何とか半年くらいで業績を上げないと、
運転資金不足で潰れてしまう。
そういう重要なときなのに・・・。
先日は、ブログにも書いたように、
アユタヤに派遣されている社員との
懇親会に行って来ました。
http://4awasejsn.seesaa.net/article/365284758.html
社員たちと食事をしながら、
雑談をしてきました。
そのとき、社員たちの明るい顔を見て、
この社員たちのためにも頑張ろうと、
決意を新たにしたのです。
ところが次の日、
その親睦会に参加した社員が1人、
辞表を提出してきました。
「ブルータス、おまえもか!?」
シーザーの気持ちがよくわかります。(笑)
泣きっ面に蜂という言葉がありますが、
まさに踏んだり蹴ったりです。
何をやっても裏切られる。
人間不信に陥りそうです。
けれども、そのアユタヤへ行く途中、
私は1冊の本を読みました。
ブログにも書きましたが、
神渡良平さんの本で、
「西郷隆盛 人間学」です。
改めて、西郷の苦労を再認識ました。
そして、その生き様に感動したのです。
考えてみれば、あの西郷どんでさえ、
あまり思い通りにはいっていないのです。
上手く行きかけたと思ったら、
引き立ててくれた島津斉彬が亡くなって、
島流しされることになります。
やっと戻されても、また島流し。
実に3回も島流しされています。
しかも、このうちの1回は沖永良部島で、
当時は、ここに流されたら二度と、
本土の土は踏めないとされていました。
いわば無期懲役ですが、
今の日本なら死刑に近いものです。
それでも西郷は、諦めませんでした。
必ず天に用いられる日が来ると信じたのか、
あるいは、仮にここで死ぬとしても
本望だと達観したのかもしれません。
書物を読み、坐禅を組み、詩を書き、
畑を耕す日々を送ったのです。
日本の一大事のときに、
自分は何もすることができない。
その不甲斐なさを感じながら、
運命を呪う日があったかもしれません。
それでも、
希望を失うことはなかったのです。
西郷の苦難は、そればかりではありません。
尊王攘夷派の僧と一緒に逃げた時も、
頼みにしていた藩は、西郷を裏切ります。
絶望したというより、
自分を信じて薩摩藩まで逃げてくれた僧に、
西郷は申し訳なく感じたのでしょう。
それで2人で、
海に身を投げて自殺を計ったのです。
けれども西郷だけ助けられました。
どれほど悔しかったことでしょうね。
また西郷は、島流しされた時に、
フィラリアという感染症にかかります。
死ぬほどではないものの、
治ることのない厄介な病です。
陰嚢が腫れて、その痛みのために、
馬に乗ることができなかったのだとか。
そういう日常の悩ましいことも抱えつつ、
それでも明るく、前を向いて生きたのです。
最後は、西南の役になります。
西郷が征韓論を主張して、
政争に敗れたという説もありますが、
この本では、そうではないとしています。
西郷の性格を考えるなら、
たしかに征韓論はおかしな話です。
徹底して清廉潔白な西郷は、
他の首脳陣に疎まれたのかもしれません。
下野した後も、
西郷はくさったりはしません。
じっとその時を待っていたのです。
けれどもその前に、偶発的なことから
騒動が起きてしまいました。
西郷は、今はこれまでと、
自分の命を差し出して、
次善の策をとることにしたのです。
それが西南戦争でした。
政府と戦いたかったわけではありません。
はからずも戦うはめになったのです。
なんと思い通りにならない人生でしょうか。
簡単にかいつまんで書いたので、
よくわからないかもしれません。
興味のある方は、
ぜひ本をお読みください。
ここで言いたいのは、
西郷ほどの人であっても、
ほとんど思い通りにならなかった
ということなのです。
それでも、不平不満を語ったり、
愚痴をこぼすことはしませんでした。
ただ天からよく使われるように、
自分を律することを心がけていたのです。
その結果が、多くの人から慕われ、
明治維新の立役者と呼ばれるほどに
なったのです。
「雪に耐えてこそ梅の花は香り高く咲き、
真紅の楓は厳しい霜を経てこそ、
いよいよ紅く照り映える。」
(p.18)
西郷が作った漢詩の一部を訳したものです。
これと同じようなことは、
多くの人が言っています。
有名なのは、孟子にある言葉です。
「天の将(まさ)に大任を
この人に降(くだ)さんとするや、
必ず先ずその心志(しんし)を苦しめ、
その筋骨を労せしめ、
その体膚(たいふ)を餓えしめ、
その身を空乏にし、
行うことその為さんとするところに
払乱(ふつらん)せしむ」
つまり、
天が大任を与えようとするときは、
困難に耐えて使命を遂行するための
能力を磨かせるために、
まずは苦難を与えると言うのです。
同じことを短い言葉でこう言います。
「艱難(かんなん)汝(なんじ)を玉にす」
実はこの言葉は、
最初に入った会社の入社式で、
新入社員代表の宣誓として
私が読んだ原稿に書かれていました。
この言葉は知っていたのに、
私は漢字を知りませんでした。
とっさに、「かんなん」ではなく
「ぎんなん」と読んでしまい、
あとで恥ずかしい思いをしました。
そんな思い出深い言葉ですが、
それが昔から言われていることであり、
西郷もまた、そういう生き方をしたのです。
もちろん私の苦難などは、
西郷隆盛の苦難と比べれば、
大したことではありません。
給料を減らしたからと言って、
生きていけないわけでもありません。
そう考えると、
なんだか気持ちが軽くなります。
まだまだ、
こんなのは苦労のうちに入らない。
そう思えてくるのです。
山陰の麒麟児と呼ばれた山中鹿之介は、
主家、尼子氏の再興を心に抱いて、
三日月にこう祈ったそうです。
「我をして七難八苦に合わしめたまえ。」
まだまだ苦難が足りないと言うのです。
自分の望みは、こんな低いものじゃない。
その大望(大きな志)を遂げるには、
この程度の苦難では不足だと。
子どものころ、母からよく聞かされました。
翻(ひるがえ)って、
私が持っている志(こころざし)は、
いったい何だろうかと考えました。
たかだか山海の珍味を、
この肉体に詰め込むことなのか?
東西の心地良い布で作った服で、
この肉体を包むことなのか?
その程度か?その程度の志しかないのか?
私はこの本を読んで、大いに反省しました。
自分自身を、
そんな小さなものにしてはいけない。
それでは、あまりに自分がかわいそうだ。
もっともっと、
大きな自分を体験したがっている。
生命とは、そういうものだと思うのです。
そう思ったとき、
今の自分が置かれている境遇など、
どうでも良いことのように思えてきました。
上手くいかないなら、
上手く行かなくてもいい。
結果を手放して、すべてを天に任せる。
自分は、自分の誠を貫くだけでいい。
私に何ができるのか、それはわかりません。
でも、何ができるかが問題なのではなく、
何を為そうとするかが重要だと思います。
それは別に、
歴史に名前を残すことではありません。
また、
多くの人から愛されることでもありません。
たとえ誰からも評価されないとしても、
たとえ大勢の人から非難されたとしても、
自らの心に問いて直ければ、
千万人の軍勢に対しても立ち向かうという
気概こそが大切なのです。
私は、教育を通じて、
世界の人々を苦しみの淵から救いたい。
誰もが、そのままで素晴らしい価値があり、
自由に生きられるのだと伝えたい。
それが私の望みなのです。
そんな気持ちになれたのも、
まずはこの本のお陰ですね。
この本を世に送り出してくださった、
作家の神渡良平さんや、出版社の方々、
書店の方々に感謝です。
そして、
この本を読んで涙するほど感動したのも、
自分が今、置かれた状況があったからです。
その状況を作ってくれたのは、
売上が激減するような出来事を作ってくれた
関係者の方々です。
これだけ尽くしても尽くしても、
「裏切ったな!」と感じるようなやり方で
いとも簡単に辞めていった社員たちです。
そういう人たちのお陰で私は、
追い詰められるという幻想に浸り、
そういうドラマで主役を演じることが
できたのです。
今は、そういった人たちに、
そしてこんな私の人生という舞台を
用意してくださった環境に、
心から感謝しているのです。
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