性とは生きること(18禁)

性とは生きること(18禁)

こんにちは、赤木です。

「セックスボランティア」という本を
ブログで紹介しました。

http://4awasejsn.seesaa.net/article/293114560.html

あなたは、
もうこの本を読まれましたか?

もしまだでしたら、ぜひ読んでください。
文庫本でも買えますから。

本当にお勧めしたい本なのです。

性について考えるきっかけを
与えてくれると思います。

タイトルからすると、
ちょっと淫猥な感じがします。

そんな内容を
少し期待したわけでもありませんが、
全く異なるものでした。(笑)

ただ、扱っているテーマは、
障害者のセックスの問題であり、
そのためにボランティアとして
セックスを行うことについてです。

それがどうして淫猥でなく、
むしろ哲学的で宗教的な感じがするのか、
自分でも不思議な気がします。

内容を簡単に紹介しましょう。

このルポはまず、
脳性麻痺の竹田さんが介護者の助けで、
マスターベーションをするという
ビデオを観たところから始まります。

なぜ、こんなビデオを作ったのか?

それが、著者の河合香織さんの
心を捉えます。

ビデオの中で竹田さんは言います。

「僕らにはタブーが多すぎた。
そのタブーをひとつひとつ乗り越え
後に続く者に残したい。」

その後、著者は竹田さんに
インタビューすることになります。

竹田さんは障害者年金をやりくりし、
年に1回、正月か誕生日に
吉原のソープランドへ行くと言います。

生命維持装置の酸素ボンベも、
そのときは外すことにしているとか。

行為の最中、邪魔になるからです。

そのことについて、竹田さんは
文字盤を指さして答えます。

「息は苦しい。おっぱいに子供のように
むしゃぶりつくのが好き。」

死のリスクを問われると、こう言います。

「そのときはそのとき。性は生きる根本。
やめるわけにはいかない。」

なぜ、そうまでして?

竹田さんの心情に思いを馳せた時、
私の胸に熱いものが込み上げてきました。

性のボランティアを募集したという
伊緒さんの話もありました。

ネットの掲示板に載せたところ、
届いたメールの大半が誹謗中傷だったとか。

「障害者がセックスだなんて贅沢だ。」

射精の介助を淡々と行うという
佐藤さんの話もありました。

佐藤さんは、
女性からのセックスの要求に応えようと、
ボランティアとしてセックスをします。

けれども、
自分も性的な興奮を感じて
射精をすることになるので、
これが単にボランティアと呼べるのか
悩んでいるようです。

恋愛感情を抱いてはいけないからと、
敢えて複数の相手と関係を持つという
障害者の話もありました。

恋愛関係を築いてセックスできるなら
それに越したことはない。

けれども、障害を持つ身だから、
恋愛は相手に負担をかけてしまう。

そういう思いから、
思い切って相手の懐に飛び込めない。

いずれは死んで行く身。

自分が我慢すれば、丸く収まる。

けれども、
どうしようもない寂しさがある。

その寂しさを埋めようとして、
セックスを求めてしまうのかも。

知的障害者を対象にした
セクシャリティー講座を開いている
河東田さんの話もありました。

単に座学だけでなく、
マッサージの仕方、コンドームの付け方、
ラブホテルの利用の仕方なども教えるとか。

本当はこういうのは、
知的障害者だけではなく、
健常者にも必要なのではないか?

そんな気がしました。

そう思っていたら、
オランダにはそれに近いものが
あるのですね。

サロゲートパートナー療法。

セックスの悩みを持つ人を対象に、
セラビストは自分の裸を見せたり、
女性器を触らせるようなことも
するようです。

性犯罪者もまた、その治療の対象だとか。

またオランダには、
障害者にセックスのサービスを提供する
ボランティアもあるそうです。

ただし有料で、値段も安くはありません。

つまり売春と同じだということです。

ただオランダは、売春が合法ですけどね。

この本を読んで感じたのは、問題の本質は
障害者の性が抑圧されていることではない、
ということです。

障害者の性が抑圧されているのは、
彼らを介護する側、つまり
健常者の性が抑圧されているからです。

自ら抑圧しているから、
その抑圧した価値観の中で、
障害者の介護を行なっているだけです。

また、無意識に障害者に対して、
その抑圧された性の価値観を
押し付けようとしています。

向き合わなくてはならないのは、
自分自身の性に対してだ。

そう感じたのです。

「愛と性欲を区別する必要なんてないんだ。
恋愛感情は病気じゃないよ。」

セックスボランティアが抱える
恋愛感情について悩んでいた著者に、
オランダで取材した障害者が
そう言ったそうです。

私は、区別する必要もないし、
また区別しない必要もないと思います。

性欲は単に肉体の欲求であると同時に、
それを満たそうとする行為は、
生きることそのものなのですから。

恋愛感情を起こさずに
性欲を満たすことは可能です。

性欲を満たす過程において、
恋愛感情が生まれることもあるでしょう。

良いか悪いかではなく、
そこに自分自身の生き方を
見つけるかどうかなのだと思うのです。

ただ、性欲と愛情を混同することは
危険というものです。

特に若い男女は、混同しがちです。

「愛しているから抱きたいんだ!」

そう言う男の言葉を、
女は信じようとします。

けれども、それは違います。

愛するから抱きたいのではなく、
性欲があるから抱きたいのです。

間違いなく100%そうです。

しかし、
その性欲を満たそうとする過程において、
相手を愛することは可能です。

愛するとは、相手を解放することです。

自由にさせることです。

自分の欲求を満たすために強制したり、
強要することではありませんから。

性について、愛について、
そして生きるということについて、
深く考えるきっかけを与えてくれる。

この本を読んで、
私はそう思ったのです。

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