大人の話を始めましょうか(18禁)
- 2012.08.02
- 2012年
こんにちは、赤木です。
8月になりましたので、
趣向を変えて成人の話題に入ります。
8月を待つ必要はなかったのですが、
ちょうどキリが良いと思いまして。
ブログの方にも少し書いていますが、
私は性的なことに対して
とても強い関心がありました。
そしてその欲望が、
自分でもコントロール出来ないほど
大きなものだと思っていたのです。
実際の行動はそれほど、
女ったらしでもエッチでもありません。
けれども頭の中は、
もうしょっちゅう性的なことを
考えていたのです。
あれはたしか
小学校の高学年の頃だったと思います。
1つ上の姉と、
将来の職業について話をしたときです。
私は、
アナウンサーになりたいと言いました。
理由を尋ねられて私が答えたのは、
「きれいな女の人とたくさん会えるから」
ということ。
なんと不純な動機じゃありませんか。
それからカメラマンというのも挙げました。
理由は同じです。
ただし、
姉には言わなかったことがあります。
それは、
カメラマンはカメラマンでも、
ヌードモデルのカメラマンだということ。
因みに、
最初の大学で写真部に入りましたが、
そのときもできればヌードを撮りたいと
思っていたのです。
こんな私は、一方で
聖人君子のような生き方に憧れながら、
もう一方では
いかんともしがたい情欲を抱いていました。
これをどう折り合いを付ければ良いのか。
それが私にとっての
重要なテーマだったのです。
おそらく性的な欲求というのは、
男性はもちろんのこと、
女性にもあると思います。
強いとか弱いとかの差はあるにせよ、
人間なら普通に持っていると思うのです。
それは、痛さを感じるとか、
暑さ寒さを感じるのと同じで、
性的な刺激を心地よく感じる
ということです。
ただ女性の場合は、
比較的に性的な欲求を抑えることが容易で、
男性は容易でないということが言えます。
それは生物的に、
男性は射精しなければならないから
と言われます。
精子は常に製造され続けるので、
性的な刺激によって
定期的に放出する必要があります。
女性のように毎月の生理という形で
放出されるなら良いのですが、
そうではないのがつらいところです。
もちろん、女性の生理は
別の意味でつらいでしょうけど。
そういう生物的な構造であることと、
愛情関係がなければセックスしてはいけない
とする倫理感とは、
矛盾するものがあります。
さらに厳格な宗教では、
たとえ愛情関係にある男女であっても、
子供を作るという目的以外で
セックスすること(=避妊具の使用)を
禁止しています。
しかもセックスだけでなく、
自慰行為(オナニー)さえも
禁止しているのです。
さすがにそれは
行き過ぎだと考える人が多いようですが、
ではどこで線を引くのが良いのでしょうか?
その問題に対して、
学校の先生はもちろん、親も周りの大人も、
明確な回答をくれませんでした。
テレビ番組の「金八先生」では、
中学生の妊娠という問題を
テーマにしたことがあります。
大人たちが答を出せずにいるときでも、
子どもは心の赴くがままに行動します。
精神的な愛情関係、
つまり純愛なら良いけれど、
性的な関係を結ぶのはよくない。
「なぜ?」
「子どもができても、
責任を負えないから。」
とてもまっとうな答のようですが、
論理的に矛盾があります。
では、子どもができたときに
バックアップする体制があれば、
中学生でもセックスして良いのでしょうか?
子どもができないように避妊したら、
セックスしても良いのでしょうか?
仮に子どもができても堕胎するなら、
セックスしても良いのでしょうか?
あるいは挿入して射精しないなら、
つまりペッティング程度なら、
やってもいいのでしょうか?
生物的に、愛情関係の有無に関係なく、
性的な刺激を好ましく感じるように
作られているのが人間です。
これは男性なら、まず同意されるでしょう。
女性は、
「愛情がなければ感じない」と言う方も
おられるでしょうけど、
それが女性の本性ではないと思います。
なぜなら、女性の中にも性欲が強くて、
ただ性欲を満たすためだけに
セックスを求める人がいるからです。
NHKのドラマ10で放送された
「カレ、夫、男友達」で、
三姉妹の次女治子(はるこ)は、
彼氏がいながらも他の男の身体に惹かれて
セックスをします。
良いとか悪いとかいう
倫理的な問題は別にして、
生物的にはそういうものだと思うのです。
この性的な問題の矛盾は、
幸せというテーマを掲げる上で、
とても重要だと私は思っています。
なぜなら、その問題のために、
多くの人が苦しみ、もがいているからです。
それは、
人生相談に寄せられる浮気や不倫、
セックスレスなど性が関係する悩みの
数を見れば、自ずとわかると思います。
だから、
逃げてはならないと思うのです。
私自身、
清廉潔白な人間という
表向きの顔だけで通すなら、
どれほど楽なことかと思います。
けれども私の内実は、
そんな清々しいものではありませんでした。
ドロドロした魑魅魍魎(ちみもうりょう)が
うごめくような闇の世界を持っています。
その存在を否定してしまったら、
私自身ではなくなってしまう。
だから真正面から、
この問題に取り組もうと思ったのです。
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